二股支線

2004年8月12日に「二股支線」に乗った。以下はそのメモ。

船橋西船橋を結ぶ5.4kmの線路。京葉線には、東京よりから市川塩浜という駅と南船橋という駅があって、それぞれ西船橋駅へと線路がつながり、デルタ地帯を形成している。市川塩浜西船橋を結ぶ線路は、高谷支線と言い、どちらの支線も、走っているのは武蔵野線の車両だけれど、京葉線の線路の一部となっている。
武蔵野線という線路は、府中本町から東京の郊外をぐるっと回って西船橋に至るまでを言う。私は、武蔵野線にはすでに完乗していて東京駅までの直通電車に乗っている。京葉線にも東京駅から蘇我駅まで快速で突き抜けたことがあったけれど、完乗を志すには、二俣支線という見逃しがあったのであった。

東京発16時29分の蘇我行快速に乗車。南船橋には16時54分到着。2面4線の1番ホーム。「上り」のホームへ向かう。このあたり、本当は面倒な話があって、ふつう、列車は、東京へ向かうものが「上り」で、東京から出発するものが「下り」となるのだが、武蔵野線というのは過去の経緯から府中本町へ向かう電車が「上り」となっている。東京駅で同じ向きに出発する京葉線は「下り」なのだから、紛らわしい。東京〜市川塩浜間はそんな感じなのであるが、「デルタ地帯」を抜けると序列が整うわけだ。南船橋の「上り」ホームは京葉線武蔵野線も同じものなのである。武蔵野線海浜幕張まで乗り入れるけれど、南船橋海浜幕張は、そういう点で、気分がいい。
4番ホーム。17時1分の京葉線東京行電車を見送って、17時5分の武蔵野線電車に乗車。最後尾車両、クハ205-45。ホームには車椅子の乗客とその介添人、そして駅員さんが待っていて、乗客が乗り終えるとドアに板を渡して車椅子の乗客も乗車となった。
右手には、首都高速湾岸線から続く東関東自動車道、それに並走する国道357号線。トラックが走る高架道路は真っ直ぐ伸び、左手の工場や倉庫は規模が大きく、臨海工業地帯の経済が活発な様を思わせる。
西船橋から3kmほど走ると、京葉線の下り線を跨いで右にカーブ。高いところから、左手に広がる工業地域の屋根々々の向こうにちらちらと海を臨んだ。高谷支線の上下線を跨いで、17時14分、西船橋着。 ホームには西船橋駅の駅員が待ち構え、さきほどの車椅子の乗客用に板を渡した。
以上、5.4km。わずか9分の旅であった。

この日は、新橋で切符を買い乗車をして、二股支線を経由して、御茶ノ水で下車をした。所用のついでではあったものの、それでもずいぶんと大回りである。実に、53.4kmの道のりであった。5.4kmのために10倍近く乗った。東京近郊区間内であるから運賃は最短経路で計算するにしても、時間と手間はそれなりにかかっている。
かの宮脇俊三氏は国鉄完乗のために、最後に残った4線区18.3kmを全うすべく2,133.2kmの旅をしたというのだから、完乗というのはおそろしく手間のかかる作業なのである。私はまだはっきり「完乗」を志したわけではないが、その一端を感じたのである。
さて、私には、鶴見線の浜川崎〜扇町間に2.3kmの未乗区間がある。こういうのも、早いうちになんとかしなければならない。