江差線

2004年8月8日に、江差線に乗っている。

江差線は、五稜郭江差間の79.9kmである。木古内からは海峡線に接続するのため、五稜郭木古内間の37.8kmは大変にぎわっているが、木古内江差間42.1kmはローカル線の様相である。

江差線に乗るにあたって、終点江差での観光地を探したのだが、どうもピンとくるものがなかった。私が旅先で立ち寄るのは、お城か温泉ぐらいなものだから、むしろ松前城なんかが目に行った。とはいえ、松前までを結ぶ松前線は1988年に廃止となっている。

松前線は、木古内松前間の50.8kmであった。江差線木古内江差間とで比べると松前線の方が輸送量が多かったのだという。松前線と江差線のどちらかを廃止しようという話になったのだが、江差線には先述のとおり五稜郭木古内間が含まれていて、こちらの方が輸送量が多いという話になって、廃止を免れた。本当にそれだけの話かは知らないが、まぁ、お役所的である。

さて、2004年8月8日の足取りである。この日は、札幌からの急行はまなすで函館に着いた。2時42分、到着。この日のはまなすは、自由席も空きがあり、車両も従来の編成のままだった。行きが嘘のようであるが、ともかくも、江差線に乗るために、未明に函館に降り立ったのである。

駅寝でもしないと、と、ローソンで「ガラナ&レモン」350mlを買う。「北海道限定」が目に入ったゆえだが、特に限定にすることもないと思う。本州でも売ればよいし。もう1本、カルピスサワーを買ったが、こちらには手をつけず、リュックに入れて持ち帰る。

函館駅というのは駅寝するひとが目立つ駅である。駅構内のベンチで、コインロッカーのコーナーの床で、そして駅舎の壁づたいに。他の駅の様子は知らぬが、この多さが自然という駅も少ないのではないか。青函連絡船は夜中も早朝も運行されていたわけだが、その頃の名残であろうか。夜汽車の着く駅というのは、こうなのかもしれない。そういう仲間に入ろうにも、入れず、私は寝ずに夜を過ごした。

5時半を過ぎて、朝市の方へとうろつく。「おにいさん、蟹どう?」なんて声をかけられながら、食堂を探すのだが、この辺、やたらと「どっちの料理ショーに出ました」という類の看板が多い。そんな中から一軒を選んで、一番安い定食を食べることにした。

イカ刺し定食」。「今朝獲れたイカ」が売りで、その点を確認して注文。出てきたものは、白いそれではなく、透明感のあるイカで、細く細く包丁が入っている。ちょっと前に自分でイカをさばいたことがあるけれど、全然出来が違う。

茶色い内蔵のようなものも食べてみた。なまぐさく、鼻に息を抜くと、ウニのような香りが残る。「イカゴロ、どうでした?」と聞かれた。これはイカの内臓で、新鮮なものでないと食べられないのだと説明されて、ほうほうと感心げに頷いて見せた。

様々なことに感心しながら口に運んでいると、「しょっか? しょっか?」と板前さんが声をかけてきた。「しようか?」とも聞こえるけれど、何を誘われているのか分からない。ともに働いている奥さんらしきひとが、「塩辛、召し上がります?」と聞いてきた。それなら、ぜひ、と頂戴したら、こちらも美味だった。1,050円の値段には躊躇したけれど、ごはんもお替り自由で、朝からずいぶんしあわせな思いをした。

7時4分、函館発。キハ40-810。1両編成。セミクロスシートの車内で、私が座ったのは隅のロングシート部分だが、16D、と番号がふってあった。10分前には乗車したが、出発時までには立つ客が出るほど、満杯になった。全員、江差まで行くのだろうか。

乗客は、大学生と思しき男性が多かった。グループ旅行か。「八戸あたりで温泉でも探そうか」と、耳に入ってくる。何のことはない。青函トンネルを抜けるひとたちだ。この列車は、木古内に8時5分に着く。1時間半ほど待って、9時30分のスーパー白鳥14号に乗ると、その列車なら蟹田にも止まるから、青春18きっぷでも利用できるという寸法なのだろう。実際、木古内で大量の客が降りていった。

なるほど、ローカル線をうまく利用するものだな、と感心したのだが、スーパー白鳥14号の蟹田着は10時24分で、蟹田から青森への接続列車は接続が悪く、11時43分にもなってしまう。青森着が12時31分で、津軽海峡を渡るのに午前中丸まるかける計算だ。なかなか大変なものである。

江差には9時18分に着いた。列車が止まったのを感じて、起きた。前夜の睡眠不足のせいである。私は口をあけて寝ていたようだ。ホームに降りると真ん前が改札口。ローカル線の終点という風情がある。

帰りの列車だが、直近が10時10分の木古内行きで、これを利用することになる。江差の市街地は駅から30分歩いたところにあるそうで、名所となる旧家などはそこにあるのだが、滞在時間は52分であって、往復もできない。10時10分の次が13時8分の函館行きだが、後々の予定を崩すと今日の泊まる場所がなくなってしまう。そうも時間を取っていられない旅なのである。

とにかくも、江差の町の様子だけでも見てやれと、重い旅行バッグを肩にかけて歩き出したのだが、遠くに海を見ただけで、強い日差しの中で、15分ほどで観念をした。

江差からは、折り返しのキハ40-810。「整理券をお取りください」の機械のアナウンスに、必要もないのに記念にもらっておく。この車両、デッキ付きである。窓も2重になっている。冬の寒さを思わせるが、今日は猛暑で、屋根の扇風機が回っている。扇風機のスイッチは壁についていた。エアコンよりも優しい風だ。

帰りは寝ずに車窓を見ることに力をいれる。江差の次駅は「かみのくに」という。駅名標はひらがなで書いてあって、森元首相の発言を思い出すが、実のところ、「上ノ国」であって、おもしろみはない。ここまで海岸沿いであった。日本海とはかようにも明るい海であったかと感心して眺めていたが、線路は内陸部に入る。

次駅は湯ノ岱。私のメモには「スクフ」とあって、鍵穴のような図が描いてあるが、なんのことか分からない。タブレット交換だったのだろうか。線路は川沿いを走る。上ノ国から湯ノ岱までは天の川沿いである。こんなところで「あまのがわ」にお目にかかるとは思わなかった。ここに「あまのがわ」なる架空駅があるらしく、線路沿いには駅名標があるらしいが、気づかなかった。

窓外には川、草地が見えると黄色い、名の知らない花がチラチラと咲いていて、きれいだ。もしかして、オミナエシだろうか。すでに、秋の花ではあるが。自然にわけいっていくような鉄道である。川から離れて、トンネルに入る。分水嶺というやつだ。そして、また、今度は木古内川に沿う。

右方向に津軽海峡線の立派な高架橋が見える。江差線は、木古内の手前でこの複線に合流する。下り線に合流するわけだが、江差線の上り列車も木古内からこの下り線を走ってきたわけだろうか。だとしたら、複線区間なのに逆向きの列車が走るのは怖いことだが、1kmほどだから問題ないのだろう。ともかくも、列車は木古内に着いた。江差で乗っていた4人の客は誰も降りず、途中駅からは誰も乗ってこず、という1時間の旅であった。