五能線

2005年8月7日に五能線に乗っている。以下はそのメモである。

五能線の名は、五所川原能代を結ぶからであると思う。青森県川部駅から秋田県東能代駅を結ぶ147.2kmの線区である。どちらも奥羽本線との接続になる。奥羽本線でなら、川部〜東能代間は98.0kmであるから、1.5倍程度の遠回りになるわけである。よくぞ、今まで廃線になっていない。「偉大なローカル線」と表現したのは、宮脇俊三であったろうか。

さて、五能線に乗車するのは三度目の正直である。

一度目は、台風で止まった。台風何号だったか、忘れた。単なる暴風雨だったかもしれない。リゾートしらかみの切符も手配済みで、前日は秋田に泊って準備したというのに。その日は結局、遅れに遅れた特急かもしかで青森に向かった。

二度目は、大雪で止まった。正確に言うと、五能線は動いた。だが、奥羽本線が止まっていた。前日は青森に泊って準備をしたというのに。弘前まで代行バスが出ると言った。しかし、それは、大幅に時間がかかる。この年、五能線では大雪で作業車が脱線したりしていたから、大雪は心配の種であったが、まさか五能線は動いて、奥羽本線が止まるとは。最初、奥羽本線は正午には回復という報道だった。しかし、終日回復することはなかった。この日、青森空港から東京に帰った。

Wikipediaには、百科事典でありながら、「不能線」とか「無能線」とか書いてあるが、つまり、そういうことなのである。

三度目は、台風も大雪も避けた。
この日は、青森駅前で野宿した。しょうがないのである。ねぶた祭りでどのホテルも満室であった。青森駅の待合室は午前0時には追い出される。バスターミナル待合室のベンチも「満室」。というわけで、野宿なのである。ねぶた祭りの祭りの後。改造車に乗った若者が、駅前でナンパ街をする女性に声を掛ける。そんな風景を見ながら、朝まで所在なく過ごした。

この日、7時11分の快速で弘前へ。もっと遅い電車でも間に合うのであるが、いい加減、早く発ってしまおうという気持ちがあった。弘前まで快速は駅を数駅飛ばすが、各駅停車とものの数分しか違わない。奥羽本線が単線だからであろう。

新青森駅、通過。東北新幹線延伸後は接続駅となろうという駅であるが、通過である。次駅津軽新城では、すれ違いのため3分停車することになる。だったら、止めてもいいものを。
新青森駅の工事は、駅北側で、地ならしが進んでいた。車両基地へと高架橋が連なるのであろう。この前日は、北海道から来て、津軽線を通ったが、油川のあたりは、やはり車両基地の造成を行っていた。
車両基地の西端は、北海道新幹線のルートである。
奥羽本線の複線化は、まだ計画もない。
夢のある話だ。

津軽新城を過ぎたあたりで、眠りに落ちた。寝不足がたたった。

列車が止まっているのに気づく。7時53分、弘前着。この列車はそのまま、弘前発7時56分の大館行き普通列車になる。ここを寝過ごさずにすんで、よかった。

一旦、改札の外に出て、待合室に椅子を見つける。弘前駅は新しくなった。2年前に来た時はまだ工事中であったが。きれいな橋上駅舎になった。寝不足でぼーっとしながら、9時25分の深浦行きを待つ。

改札開始の案内が放送されて、また改札内へ。4人がけのボックスシート。進行方向に向いた席を陣取る。対面に、おばさんがた2人が座った。嫌なシチュエーションだが、車内は結構込んでいて、立つ客もいる。

川部まで戻る。川部で6分停車。やけに止まるな、と思っていると、乗務員に行き来が頻しい。この駅でスイッチバックなのであった。急いで座席を取ったのに、反対向きで五能線の乗らねばならぬとは。線路脇に広がるりんご畑に、青い実がなっているのを後ろ向きに見ながら、また、眠りに入った。

五所川原の停車は、夢現にも覚えている。

鳴沢を過ぎたあたりで、目が醒めた。寝起きはぼーっとしているが、ある瞬間、子供が「海だ!」と叫んだ。左手に海が広がった。10時41分、鰺ヶ沢着。15分の停車。

若干の席が空いた。進行方向の左側、つまり海側でない方の席を陣取る。海は嫌いだ。まぁ、千畳敷や、深浦のあたりの大きな岩も見えたし、満足である。
丘の上に、「密出入国防止」という看板があった。海の向こうはトツクニなんだと思った。

深浦で2分ちょっとの接続。向かい側のホームに待機している東能代行きに乗り換え。あとは、寝た。東能代着、13時47分。

眠ってばかりいる乗車記だ。昔は悔いたものだが、ふと、乗車などどうでもよくなってきたような気もする。記録を作るための乗車になっているようだ。そもそも私には乗り鉄趣味はないのかもしれない。

秋田行きは10分後の発車だが、すでに待っていた。この駅始発である。