男鹿線

2004年8月5日に男鹿線に乗った。以下にメモをしておく。

この日、秋田駅に11時31分着。竿燈祭りで賑わう秋田駅の観光案内所前に設えてあった臨時案内所で手近な見所を尋ねて、千秋公園へと足を向ける。ちょうど昼食時であり、駅前のイトーヨーカドーで買った海苔巻を持参。通り道、脇には秋田ビューホテル。加藤鷹が勤めていたホテルか、と眺める。公園の方にそれ、坂を登り、猛暑であり木陰を探し、ベンチを見つけて座る。頭上の木の枝にはカラスが止まっているので、糞害に気をつけながら、海苔巻に醤油をつけて、口に運ぶ。眼前、芝生が広がる中に小さな池があって、チョロチョロと水が注がれている。ちょうどその脇に少女のブロンズ像があるものだから、角度を変えて見るとまるで小便少女のようでおもしろかった。
食事を終えて、あと少しの時間をどう過ごすかと、さきほど臨時案内所でもらった地図と相談し、久保田城へと向かった。段々を折れて登って門をくぐると、木陰に遊ぶ幼稚園児に気をとられてしまったが、右手に佐竹義堯銅像が見えたはずである。先ほど食事をしたベンチの背中側には、佐竹史料館。この辺、佐竹氏一色であるが、私には全然分からない。かろうじて、信長の野望で佐竹という名前を聞いたことがあったと記憶して調べてみると、佐竹義重という常陸太田の戦国武将がいた。その子義宣の代に、関ヶ原の戦いを経て、秋田へ移されたというのだから、断片的にでも知識があると、こういった旅行の際にもおもしろいものである。
久保田城見学。入場料100円。本物の久保田城というのは江戸時代にすでに焼失していて、今あるのは鉄筋コンクリート3階建てのそれである。といって、元の久保田城は2階建てで、再建にあたって展望台をその上につけたというのであるから、観光目的といえば、それに尽きる。私は城好きというわけでもないが、こういうのは足を踏んでおくポイントであって、儀礼的に立ち寄ってみるわけだ。
1階の展示スペースを通り越し、小さなエレベータで3階。東西南北それぞれを眺めてみるのだが、遠くに山が見える、海がちらっと見える、というようなどうでもよい感想を得るにとどまった。5分もいたであろうか。階段で2階へ。刀や甲冑などは、よそで充分見ている。専門家の眼を持っているわけではないから、見ても小さな違いなど感動をもたらさない。パネル展示も然り。こういう展示は、どこへ行っても代わり映えがしない。企画している人間も、よその展示内容を丸写しにしているだけなのだろう。
以上、駆け抜けるように久保田城を見て、秋田駅へと走る。列車出発まで後15分少々。

12時53分、男鹿行の列車は、すでに1番ホームに入っており、2両編成の気動車は乗客を満載していた。半自動ドアをボタンを押して中に入る。先頭車両、キハ110-217。高校生があふれており、ドア付近の男子生徒は、僕が乗り込むとすかさず「閉」ボタンを押す。エアコンが効いて心地よく冷えた車内だ。熱い風が入ってくる不快感はたまらない。実際、この生徒は、降りるまでの数駅、列車が止まると立ち上がり、ドア係に徹して、走り出すとまたしゃがむ。ずっとこれを繰り返していた。
1駅目土崎を過ぎるとすぐ、左手に引き込み線が見える。秋田港への貨物線らしい。その先には、風力発電の風車が見えた。調べると、火力発電所にある風力発電施設だというから、おもしろい。
土崎、上飯島、追分でも乗り降りするのは、高校生がほとんどだ。追分まではまだ奥羽本線である。悠々たる複線区間が前方に見えるのだが、追分を過ぎると、少し異様だ。右側の線路のみに架線があるのである。追分からは男鹿線で非電化、右側の線路は奥羽本線で電化という差が対照的だ。しばらくすると、男鹿線は左のくさむらにカーブしていった。
仮設駅のような鄙びたホームの駅を数駅過ぎるうち、高校生はだいぶ降りていって、空席ができた。前夜からの夜行で来た身体は疲れていて、席につくと、すぐに眠り込んだ。
起きた時には、男鹿駅で、車両の中にはもう誰もおらず、取り残されていた。定刻なら、13時49分男鹿着である。14時20分のこの列車の折り返しで秋田に戻っても良いが、竿燈祭りは19時とか20時とかに行くのが身ごろだろう。15時半ぐらいに戻ってもかえって時間を持て余す。
男鹿駅前の観光案内所に立ち寄り、どこか見所でもと思案する。歩いていける距離には大龍寺というのがあるらしい。そこにするかと決めて、まずは水分補給でもとローソンまで歩くのだが、その数100mの移動だけで汗がだらだらとなった。大龍寺といっても、お寺さんの類はよそでいっぱい見ているし、せっかくここまできたのだから、奮発をして、男鹿半島の先、入道崎まで行くことに決めた。
観光案内所では、釣りバカ日誌の撮影がこの辺であったとかで、前売り券の販売をしていた。特典つき。扇子、である。どうしようかと迷ったが、あまり好かない柄だったので、やめることにした。
バス停へ向かうと、13時51分という便があったらしい。電車が13時49分に着いて、バスが51分発。何かと無駄な接続待ちが生じるローカル線の乗り継ぎにしては、極めてスマートな接続である。だが、そういうときに限って、私は寝過ごしたり、便の存在を知らなかったりするのである。
駅の待合室で無駄に時間を過ごし、14時45分発のバスに乗車。男鹿線の一つ手前羽立という駅に寄る。観光地図によれば、この先「なまはげライン」というのを通るらしい。確かになまはげラインという道には入ったものの、やたら脇道のそれてバスは走っていく。たとえば、前方のなかなか大きな橋が見えて、よく整備された真っ直ぐに伸びるアスファストの舗道をこのまま進むのだろうな、と思うと、手前の信号もないような交差点を曲がって、くねくねと旧道を進むのである。
考えてみれば、このバスは、ふつうの路線バスの車両であるし、この路線は観光用でも何でもなく、生活路線なのだ。
そういうするうちに、男鹿温泉の入口に至った。交差点に大きななまはげが立っていた。温泉街の先まで行って、バスはターンする。そのとき、民家の庭先に貨車の車掌車があった。荷物のコンテナを物置にする例は多いが、こうしたところで車掌車が利用されているのは珍しく、カメラを向けようとしたら、無慈悲にもバスは通り過ぎていった。後の話になるが、帰り道、今度こそはと2つほどの前の停留所からカメラの電源を入れて待ってみたのだが、今度は温泉街の先までは行かないルートだった。何事もうまく行かない。
15時44分、湯本駐在所というバス停に止まった。入道崎行きのバスに乗ったはずであったが、このバスは男鹿水族館行きであり、入道崎へはここで乗り換えろというアナウンスであった。砂利の敷いた広い敷地にはあらかじめ入道崎行きのバスが待機しており、その後部ドアにピタッとつけるように、私の乗ったバスは前部のドアをくっつけて、整理券持参で乗り換えとなった。なんだか、よくできている。
15時54分、入道崎、終点。日は陰り、涼しい。道路の海側には草地が広がり、海に至る。陸側には観光地の定番みやげ物屋。団体客を相手にするような大きなみやげ物屋でおそらく食堂完備、観光バス用駐車場完備である。そんなのが5〜6軒立ち並んでいた。
店の前では、サザエだとかキリタンポだとか、売っているのだが、いずれも数百円とはいえ値が張って、お金を出す気にはなれず、素通りとなった。
草地には、2つに割れた石が間隔をおいて立ち並ぶ。割れた部分が、北緯40度のラインなのだそうだ。そんなあたりをうろうろして、入道崎灯台。150円。
天上、床、壁、コンクリートに囲まれた螺旋階段をぐるぐる登る。頭に血が登る。暑くじめっとしており、自分の向かっている方位が分からなくなる。こういうのはノイローゼになりそうだ。ともかくも、地上24のデッキ部、つまり灯火の部分まで上り詰め、風景を一通り見回す。海は、遠くに島が見えるでもなく、何の思いも馳せられない。
5分も居ずに、また階段をぐるぐる回って下まで下りて、資料展示室を見る。これも入場料のうちだと見るのだが、パネルなどの展示物には興味がなく、いそいそと立ち去る。
バス乗り場には、すでにバスが待っていた。これは逃すまいと必死で走る。僕を見とめた運転手さんがドアを開けてくれた。車内ではラジオがかかっており、山下達郎なんかが流れている。発車までまだずいぶん時間があったのだ。
16時43分発車。出発直後に、若い女性が「待ってー」と走ってくる。運転手はドアを開けて女性が乗り込むのを確認する走り出す。女性は運転席まで走ってきて「もうひとり居るんです」と。もうひとり走ってきて、ドアを開けてもらってまた乗り込み、発車。あとは、また湯本駐在所で乗り継いで、私はもう寝てしまった。
気づくと、羽立の駅前。ここでバスを降りても、一本早い列車に乗れるわけでもなく、つまり男鹿まで行っても乗る列車は同じなのであるが、なんとなく、違う駅を体験してもみたかった。もっとも入道崎〜男鹿間のバスは片道900円であり、それを羽立で降りると830円になるのだから、それにより70円得したことになる。
羽立は無人駅。1面1線のホームである。元は1面2線の島式ホームであったのだろうが、駅舎側の線路は草が生い茂って、錆びたレールがわずかに見えるだけである。
17時40分、羽立駅から乗車。キハ48-1503。出発後数駅はまだ意識があり、右手に見える海や、駅ごとに乗ってくる、部活帰りであろう男子高校生を見ていたが、いつの間にか寝入っており、秋田駅で車掌に起こされて目が覚めた。
行き帰りとも、途中では寝ているものの、ともかくも男鹿線26.6kmは完乗である。