上越線

2004年8月5日に上越線を完乗した。以下はそのメモである。

こう鉄道の話ばかり書いていると、いろんな路線に乗っているかと思われるかもしれないのだが、そんなことはない。ある地点まで行かなければならないことになった場合、飛行機があればそれに乗りたいし、新幹線があればそちらを選ぶ。在来線などもってのほか。加えて、旅行好きというわけでもないのである。そうやって過ごしてきたから鈍行列車に乗って遠くへ行くなどという酔狂なことは、今までやる気にもならなかった。この年齢までそんな感じでやってきて、宮脇俊三が亡くなったと聞き、その書を読んで急に「たびてつ」ファンになったという次第である。そんなわけで、まるきり乗ったことのない幹線は多い。上越線もそのうちのひとつであった。

上り線なら、2004年4月8日〜9日に乗っている。これが初回で、2日間に渡っているのは夜行のムーンライトえちごを利用したからである。と、ここまで書いてふと思った。ムーンライトえちごというのは、新潟を出ると、信越線、上越線高崎線を経て新宿までやってくる。上越線というのは宮内〜高崎間を指す。「上越線」というから、上越へ向かう線路のことかと思っていたら、「上野」と「越後」を結ぶところに由来するというから、東京から新潟までの一部分でしかないのである。で、この列車は信越線の新津で日付が変わるから、上越線自体に乗車しているのは4月9日のみであった。
さて、上越線全線宮内〜高崎間は162.6kmで、案外短いものであるが、ちと曲者なのである。上越線谷川岳連邦の真下を横切るのだが、上下線でルートが違う。上り線には、有名なループトンネルがある。計7つのトンネルのうちの3つがこれに当るのだが、総称で「清水トンネル」と呼ばれる。
余談ながら、川端康成の『雪国』の出だし、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」のそのトンネルが清水トンネルだといわれる。まぁ、『雪国』はおろか、川端康成の作品など何一つ読んだことがないのに、こんな薀蓄ばかり知っていても薄っぺらい話なのだが、興味というのは何をきっかけにして起きるか分からず、覚えておいていい無駄知識なのである。
下り線は新清水トンネルという新しいトンネルをストレートに抜ける。ここでも無駄知識ついでであるが、新清水トンネルの中には、土合という地中駅があって、これは珍駅として必ずといっていいほど紹介される駅である。ホームは地下70m。改札口まで合計486段あり、歩いて10分かかる。こんな具合で「もぐら駅」と呼ばれる。階段は338m、連絡通路は143mというわけで、地上にある上り線ホームとはずいぶん離れている。
こんな駅があるぐらいだから、上下線で実キロはずいぶん違うはずだが、営業距離は同じとしている。
上下線でルートが異なる路線については、完乗ルールの決め方次第で緩和もできるのだが、それでも両方乗っておくというのは気分的にも良い。というわけで上下線乗車後の記録とした。

ところで、上越新幹線開業後はその影は薄くなったとしても、上越線は東京と新潟を結ぶのに主要な幹線であるが、なぜ「上越本線」とは呼ばれないのであろうか。そんなことを考えて連想を繰り返していたら、ふと「ガーラ線」の存在を思い出した。
ガーラ線は、上越新幹線越後湯沢駅ガーラ湯沢駅を結ぶ1.8kmの区間である。新幹線が乗り入れるが、扱いは在来線である。開業は1990年12月20日JR東日本が、その保線基地の裏山にスキー場を作り、線路まで敷いたわけである。そういえば、Zooが"Chou Chou Train"を歌ってガーラ湯沢のCMをやっていたのはもう何年も前の話にもなるであろうか。そういや、Zooはどこに行ったのか。ともかくも、ガーラ湯沢は冬季のみの臨時駅であり、ガーラ線の完乗のために、冬の上越など、寒くて行きたくない。というわけで、いつになるか分からない「ガーラ線」の話はとりあえずおいておき、上越線本線の完乗記録を今のうちに書いておくのである。