空港線

2004年8月4日に、空港線に乗ってきた。以下にメモを。

この日完乗した「空港線」とは、JRの成田駅から成田空港駅に向かう路線を指すのだが、まず、つまらない注釈がいる。
成田駅から成田空港駅までは10.8kmある。そのうちJRの線路は、成田駅成田線分岐点の2.1km。残る8.7kmの線路の持ち主は、成田空港高速鉄道なる第三セクターの会社である。まず前者の2.1kmは成田線なのだから、別に分けてカウントすることもないだろうと思うのだが、完乗に際して多くの人は、これを分けてカウントしている。逆に京浜東北線なんかは、東北線東海道線という扱いで、2重にはカウントしない。
後者については、いわゆる第2種事業者というやつで、JRの路線でも都市部などでちょくちょくみかける。これをカウントするかしないかは自分で決める完乗ルール次第なのだが、カウントするとすると、千代田線や東西線など地下鉄に乗り入れている区間も含むことになるのだろうか云々と考え出してしまう。
結局、自分の完乗ルールを作るにあたって、何に準拠するか、というのが今後は避けていられない課題になってくるのだが、今日のところはとりあえず、「成田駅成田線分岐点」に乗り、そして、後日ルールを本決めしたときに未乗区間とならないように、「成田線分岐点〜成田空港駅」も乗っておくことにした。

さて、いまさら成田空港でもないのである。
海外旅行は数度とはいえ、経験があるのだから、当然のごとく成田空港は何度か利用している。しかしその都度、アクセスはスカイライナーであった。JRが成田空港に乗り入れを始めたのは1991年で、もう10年以上昔のことなのだが、それでも小さい頃からの刷り込みというのは根強くて成田空港といえばスカイライナーなのである。
もちろん、経済的合理人としては、先立つものが先立っている。成田エクスプレスが、私からすれば至極高価なのだ。快速でも運賃は京成よりも高くつく。余談だが、こんな具合で私鉄との並走区間ゆえに未乗区間となっているJR線が私には各地に数多くあるのである。

17時45分、我孫子から成田線乗車。先頭車両クハE231-70。成田着は、18時26分…だったはず。というのも、この日は疲れで寝てしまっていた。電車が到着してもしばらく起きなかった。相当な疲れである。18時29分に快速エアポート成田がある。これは非常に乗り継ぎがよいが、寝過ごしたわけであった。
もっとも、この日そもそも目指していたのは鹿島線の完乗であった。この日を選んだのは、サッカーの試合日であることを調べていたからなのだが、鹿島線というのは成田から異様に接続が悪いことを、ここまでやってきて知った。次の電車は19時32分、「鹿島神宮」行と表示が出ている。その次の「鹿島サッカースタジアム」まで乗らねば完乗にならないし、今日乗っても後々の2度手間になる。おそらく田舎の風景と思われるその車窓を楽しむには、すでに日も暮れているのだから、とそちらは諦めることにした。後日、総武本線成東〜松岸間を乗車してから、鹿島線をもって千葉県完乗とするのが、良いように思えた。
18時29分成田空港行を逃すと次は、19時29分、1時間の待ち合わせである。改札を出て、コンビニに入り、チョコレート菓子を買う。さきほど我孫子駅のホームで食べたかきあげ蕎麦の口直しである。
疲れた身体で所在なくホームを彷徨っていると、たどたどしい日本語で「次の成田空港行きはこのホームですか?」と聞いてきた女性がいた。東南アジア系だろうか。ともかくも、あっちです、と3番線を指差しておいた。「次の成田空港行き」は3番線発車で間違いないのだが、3番線から次に発車する電車は千葉方面の電車だ。その後すぐに私は場を立ち去ってしまったが、彼の女性は大丈夫であったろうか。少々不親切に思えて後悔した。
外は真っ暗、雨が降り、カエルが鳴いていて、さびしい。やっとやってきた19時29分発の快速エアポート成田乗車。中間車両サハE217-28。ガラガラの車内に席を見つけ、昼に買ったカレーパンを口にする。
出発後2〜3分して、右へカーブ、直線に入る。成田線分岐点は過ぎたのだろう。外は、真っ暗。右手にパチンコ屋などの光が見える。東関東自動車道の成田インターチェンジ付近であろう。
直線区間。揺れが少ない。この路盤の良さは成田新幹線用の設計ゆえであろう。しかし、真っ暗で、単線なのか複線なのかも分からない。
時折り、トンネルに入ると、左手に絵が見える。アラビアンナイトであろうか、オレンジと緑のLEDを光らせて、パラパラマンガのように絵が何枚も車窓を過ぎていく。矢崎総業とあった。
19時38分、空港第2ビル駅着。警備員が乗り込んできて車内を巡回。鉄道や飛行機のテロを警戒する様が、こういう場所に来るとますます見て取れる。1分後停車後発車。この長い停車時間は、警備のためか、荷物の多いと予想される海外旅行客のためだろう。
19時41分、終点成田空港駅着。第1ターミナルはこちらの駅である。ホームから改札階にあがり、自動改札を過ぎると、すぐさまセキュリティ・チェックである。これを過ぎずには先に進めない。この日の、服装はポロシャツ、半ズボンにリュック1つ。係員は無表情に用向きを聞いてきた。「見学です」と答えると素直に通った。身分証明書を要求されて、免許証を見せただけ。荷物には手も触れなかった。警備強化中とはいえ、簡単なものである。私が生物兵器でも持っていたらどうするのだと思わないでもないが、思うだけで、それはやはり空想であるな。
空港ターミナルは懐かしい。第1ターミナルから発着したことがあったかなかったか、それは定かではないが、出迎えなりで訪れたことはある。
私は空港という非日常的な空間が好きだ。天井は高く、表示は多国語で書かれ、様々な人種のひとを見かける。ひさしぶりの空港施設に酔いどれつつ、5階の展望デッキへと向かった。20時頃であり、もうあたりは真っ暗なのだが、それでも照明塔や、空港のビルの明かり、働く車の明かり、それに航空機の明かりが暗闇に浮かんで見えて美しい。遠くに、離陸していく航空機があった。加えて、右前方、遠くには小さくかすかに花火が見えた。帰宅後、調べると「第51回とりで利根川大花火」がそれらしい。25kmほど離れた花火で、たしかに小さくかすかにしか見えないわけだ。とはいえ、こういう花火鑑賞もなかなかなくて、おもしろい。6〜7年前になろうか、淡路島の淡路花博の海上から神戸の花火を見たことがあったのを思い出した。とはいえ、淡路島と神戸の間は海であり、距離も15kmほどである。今回のように陸地でありながら25kmも離れた先に花火を見るというのは、最長記録でもあった。
帰りがけに、ローソンで、大豆のチョコボールを買った。ミルクチョコレートとクリスプ層に包まれたそれは、まぎれもない大豆であった。小さい頃、節分の豆を食べるのが苦手であったが、こうすると難なく食べられるな、と思った。
20時40分の空港内の連絡バスで、第2ターミナルへ向かう。バスには、「お客様優先」とは書いてあるが、もうこの時間帯である。私のほかには、制服の女性が2〜3名乗っただけであった。バスはふつうの路線バスタイプ。千葉22か4284というナンバーまでついている。空港ターミナルに行くバスというのも、また非日常的でおもしろい。空港ターミナルというのは、だいたい到着階と出発階が別だから、巨大な立体道路が横付けされる。そんな景色が現代的で好きだ。とはいえ、このバスは、第1ターミナルの1階と出て、第2ターミナルの1階に着くわけだから、高架には乗らない。それでも、自分自身が乗らないわけだから、逆に、そういった光景を眺めることができる。20時47分、第2ターミナル着。
第2ターミナル5階の展望デッキは21時まで。というわけで、急いで外に出てみるのだが、こちらはあまり見るものがなかった。施錠しようとする警備員の横をすり抜けてターミナルビル内に戻る。
チェックイン機か何かだろうか、メンテナンス中であった。Windowsの画面が表示されたそれは、不思議な光景だった。
21時16分発の快速で帰宅とする。成田空港発の普通電車はみな快速である。向かい側のホームには京成電鉄の車両が行き来している。こちら側のホームには、下り線、成田空港行きの成田エクスプレスが過ぎて行き、また逆側から、快速エアポートがやってきた。ここらへん、単線区間である。さきほどはよく観察してこなかったが、資料によると成田空港駅は1面2線のホームであったから、そこで行き違いをしていることになる。ともかくも、私は快速の先頭車両に乗車。クハE216-1015。席に座って眠りに落ち、気が付いた時には、東京駅だった。22時40分の山手線。クハ205-33。家にたどり着いたのは23時過ぎだった。この日、丸一日電車に乗っていたことになる。