常陸太田支線

2005年3月30日に常陸太田支線に乗車している。以下はそのメモである。

常陸太田支線水郡線の支線である。支線を持っているというのは何やら立派に感じる。地方交通線では珍しい部類ではないか。常陸太田支線は、水郡線上菅谷駅から常陸太田駅間の19.6kmである。5駅を15分程度で走る。

こういった盲腸線には、かならず延伸論者というか、論者とはいかないまでも、どこそこの鉄道駅につなげたいと想像して楽しむファンがいるものだけれど、常陸太田支線には、そういったひとがいないようである。そもそも、このような盲腸線が出来た経緯を私は知らない。

さて、この日は15時12分常陸太田発の列車に乗車したのだが、車中は西日が強すぎてカーテンは締め切り。私も眠くてじっとしていたという体たらくであった。書くことは少ない。話は、この日が最終運行の前日だった日立電鉄を中心に据えることになる。

この日は、3時発の予定であったが、仕事がおした。仕事といっても商売ではなくて、手紙を何通か書く必要があった。が、なかなか筆が進まない。結局、5時過ぎになって書き上げて、出発。日立電鉄は翌日にまわすかとも思ったが、それは危うい。どこの鉄道であったか、廃線日は大雨か何かで運休になったというケースがあった。

青春18きっぷの3回目は、御茶ノ水駅からに決めた。途中の郵便局の時間外窓口で手紙を出しすがら、御茶ノ水まで歩く。6時20分頃、改札を入った。しかし、おなかがすいた。この先、茨城まで食事が摂れないとなると空腹に耐えかねる。ホームを突っ切って別の改札を出てコンビニを探すのだが、駅前には見当たらない。

結局、早朝から開いている駅前のパン屋でパンを買う。そして、さっき青春18きっぷに検印を押してもらった入口からまた入るわけだ。駅員さんがちょっと妙な顔をしていた。6時28分、御茶ノ水駅始発の総武線各駅に乗車。

6時59分、西船橋から武蔵野線。新松戸乗り換えで、柏。柏からは7時31分の高萩行きに乗り換える。友部ぐらいまでは意識があった。水戸で何分か停車していて、そのときに起きたらしい。後で時刻表を見ると停車時間は14分であったが、夢現に、何分だか遅着したとアナウンスがあった気がする。

後ろの席に、水戸から、話し声の高い客が乗ったようだ。9歳と5歳と、60歳を過ぎたくらいの男性。9歳男子が一生懸命話す。鉄道好きらしい。大阪から茨城に直通する列車はないんだ、とか云々、「おじいちゃん」につっこまれるままに話す。その「おじいちゃん」なのだが、なんだか、ちょっと皮肉な口調で、この不快な話し方は記憶があるな、と考えるのだが、記憶の奥底で思い出せない。

そうこうしているうちに、大甕。ここから日立電鉄に乗っても良い。が、今日は晴天である。常陸多賀から2kmも歩けば日立電鉄の終点鮎川駅である。そのルートをとった。9時52分、常陸多賀着。駅前の地図をよく頭に入れて、出発。

私は、1kmを10分で歩くのを目安にしているから、2kmなら20分。高校の角を右に曲がると、まず、常磐線の踏切があった。工場の塀を右手に沿いながら、数百メートルも歩くと、今度は日立電鉄の踏切である。レールが光を反射してなかなか綺麗だが、ゆがんでいるのもよく分かる。

道が分からず、ちょっと不安になりながらも、鮎川駅に着いた。着いてびっくり、駅前には30人ほどのひとが列を作っていた。警備員がいて整理を行っている。廃止当日ではないにしても、平日なのに結構な賑わいである。

列がなかなか進まないのは理由があった。券売機がひとつしかないのである。JRであれば、混雑が予想されるときは臨時の売り場を設ける。こちらは人手が足りないのであろう。さらに、その券売機は新千円札に対応していなかった。廃止が分かっているのに、券売機を更新することはなかったわけであるが、その旨の表示が小さく、お札を入れてから戸惑う客も多かった。加えて、これが一番の問題だと思うのだが、自分の番がきてから、運賃表を見て、財布を取り出す客の多いことであった。

結局、長く待たされて、10時35分発の電車に乗った。

今日は疲れたけど、感動の醒めないうちに書かないとな。鹿島線も。

京浜東北線

今日、東京駅から17時8分の北行電車に乗った。進行方向に向かって右側のドア付近に立った。小さい男の子2人が、母親と立っていた。4〜5歳ぐらい。兄弟だろう。ふたりして、電車の音を真似てみたり、窓の外に見えるものを見ては叫んでいる。

線路の向こうの端には、なすの243号。同じく17時8分発で、同時にスタートを切ったらしかった。子供が見つけて、すかさず叫ぶ。「はっ! しんかんしぇん! でんしゃよりはやい!」 無邪気な驚きようだ。とはいえ、快適さを重視する新幹線と京浜東北線では、こちらの方が加速に分がある。すぐさま、子供は訂正をする。「あっ、でも、でんしゃのほうがはやい!」 子供は正直だ。

神田駅に止まるため速度を落とすと、追いかけっこの決着がついた。でも、子供の興味はもう別に移っていた。ポスターか何か貼ってあったのだろう、「ピカチュウ!」と叫んだ。車内の他の子供も「ピカチュウ!」と叫んだ。

さて、京浜東北線に完乗したのは、いつかは知らない。日常のアシである。いつの間にか完乗していたのだ。そもそも、京浜東北線というのは運行系統の名前である。線路の戸籍は、大宮〜東京間が東北本線で、東京〜横浜間が東海道本線である。ふつうは別にカウントしない。

大船渡線

2005年1月20日大船渡線に乗っている。以下はそのメモである。

青春18きっぷが残り1回。そして、有効期限は今日。ふたつの意味で「最後の日」である。

この日のプランとしては、2通り考えていた。仙台駅6時44分発の東北本線下り。一ノ関で乗り継いで…、ここからが問題である。1つは北上駅で1時間待って、北上線奥羽本線で秋田まで行って、大曲まで帰る。田沢湖線で盛岡。あとはひたすら東北本線上りで帰路。もう1案としては、一ノ関から盛岡。山田線・釜石線と乗り継いで、花巻から後はひたすら東北本線上りで帰路。どちらとも決めかねず、出発したのであった。

この日は5時起床。仙台駅では地下で迷った。地下の在来線改札口から入ろうとしたら、地下商店街がまだ開いておらず、遠く離れた仙石線の改札口まで走らされる羽目になった。4番ホームからの6時44分発一ノ関行き電車にはかろうじて飛び乗れた。3両目であったか。車両の前部に運転台があって、ひとが座っていた。運転士か車掌か。この列車に乗務するでなく、次の勤務への移動なのだろう。そんなことを気にしながら、早起き分の睡眠時間を補うべく、松島を過ぎたあたりで眠りに着いた。

よく眠った。塩釜到着のアナウンスで目が覚めた。びっくりした。塩釜は松島の手前である。景色も逆方向に流れている。なぜだ。とはいえ、東北本線でも輸送密度の低い区間である。いまから逆方向の列車を捕まえても、上記2つのプランの遂行は無理である。おとなしく仙台まで戻ることにして、また眠りについた。

8時21分、仙台駅6番ホーム到着。空腹を癒すため、ホームで立ち食い蕎麦を食べた。そのうちに、8時51分発の快速南三陸1号が入線。これに乗ることにした。

それにしても不思議なことがあるものだ。なぜ仙台発の列車が仙台行になっていたのだろう、と考え始めた。仙台から一ノ関までは1時間半かかる。行って帰って3時間。とすると、もう10時近くなっているはずだから、途中の駅で戻ってきたに違いない。とそこまで考えて思いついた。3両目の前にいた乗務員の姿。どこかの駅で前2両を切り離したのだ。私は飛び乗ったからアナウンスは聞き逃していたが、一ノ関まで行くのはきっと前の2両のみであったのだ。時刻表で確認すると、列車は小牛田で切り離し、折り返し仙台行きになった模様であった。

ともあれ、快速南三陸1号に乗った。2〜3分遅発のアナウンスがあった。昨日は快速南三陸4号で帰ってきた。逆コースである。南気仙沼の手前で起きたので、下車。定刻10時52分の到着だったと思う。気仙沼の街をとぼとぼ歩いて、12時半ぐらいに気仙沼駅に着いた。

大船渡線一ノ関行きはすでにホームに入っていた。大船渡線の盛〜気仙沼間は2005年1月19日に乗車している。ほとんど寝ていたが、それでも乗車は乗車である。ひとつ書き加えると、そこで、ひとつ達成したことがある。

私の完乗ルールでは、新幹線はすべて別線扱いしようと思うのだけれど、その方式計算すると、2004年末で9,906.3キロになっていた。1月19日、大船渡線に乗る前に釜石線を完乗しているから、9,996.5キロになる。10,000キロは大船渡〜下船渡間で迎えた。ほぼ折り返し地点である。

さて、大船渡線は12時43分、定刻発車気仙沼駅から5kmほど、新月駅の直前で岩手県に入る。ここで宮城県内の在来線完乗を達成した。都道府県別に見ると、埼玉県、静岡県福島県に次いで4県目である。

さて、鍋弦路線をドラゴンレールと呼び変えている大船渡線であるが、原敬我田引鉄の話はどうでもよい。ひたすら本を読んでいた。車中というのは余計な遊び道具がなくて、読書に集中できる場でもある。一ノ関には14時2分着。

一ノ関からは14時53分の仙台行きに乗車の予定である。乗り換え時間は50分と長い。駅前を散策することにした。古い武家屋敷(旧沼田家武家住宅)を見た。

気仙沼線

2005年1月19日に気仙沼線に乗っている。以下はそのメモである。

気仙沼大船渡線から乗り換えた。1番線から15時52分発の気仙沼線である。すでに入線していた。ボックスシートの一角をひとり占めし、眠りに入ろうとする。

5分で南気仙沼。駅前は広く、新しい観光バスも数台止まっていて、むしろこちらが街の中心部ではないかという雰囲気である。Wikipediaには、「島式ホーム1面2線の地上駅である」とあるが、現在は違うようだ。たしかにその痕跡はあるが、ホーム片側の線路は取り払われていた。1面1線である。

さて、この日乗車したのは、快速南三陸4号である。小牛田には17時26分に到着する。約1時間半。各駅停車なら約2時間かかるから、かなりの時間の節約になる。ローカル線の旅情を味わいに行くのにそれでも速達列車を選択するのは矛盾のようであるが、現実との折り合いというところである。それに、もう日没だ。景色も見えない。それに、眠い。今朝は4時起きだった。それに怪我をしている。安静にするのが良い。

気仙沼線といえば、宮脇俊三『時刻表2万キロ』の最終章である。あの本が足尾線のままで終わっていたら、読後の感想はずいぶんつまらなかったろう。気仙沼線が明るさをもたらしていたように思う。とはいえ、今となっては、全通後30年近く経った路線である。よくあるさびれたローカル線であった。陸前階上の停車でちょっと目が覚めたが、ふたたび寝た。気仙沼線の感想はそれだけである。

仙台到着のちょっと前に起きた。到着の定刻は18時14分。たぶん定刻だったと思う。この日、この後、南仙台駅東仙台駅と立て続けに人身事故が起きて東北本線のダイヤが大幅に乱れることになるが、その前には着いたのだった。

釜石線

2005年1月19日に釜石線に乗っている。以下はそのメモである。

青春18きっぷが2回分あまった。その消化をせねばならないのだが、有効期限ぎりぎりになって、やっと重い腰が上がった。行き先は、前夜、遠野と決めた。釜石線が未乗だからである。

いや、釜石線のみならず、山田線も大船渡線気仙沼線も未乗である。もちろん、岩泉線も。とすると、もっとも効率がよいのは、盛岡から山田線快速に乗って、宮古、釜石と乗り継いで、遠野に至るのがよい。盛岡発10時48分の快速リアスに乗ると、このルートでの接続がすこぶる良い。とはいえ、遠野到着は16時になってしまう。山深い遠野ではこの季節、もう日没だろう。

というわけで、釜石線は花巻方面からの乗車。山田線は後日に取っておき、釜石から三陸鉄道南リアス線、盛から大船渡線気仙沼から気仙沼線で仙台へ、と抜ける日程を作った。遠野での滞在は2時間あまり。とはいえ、これだけ未乗区間を制覇して、しかも日帰りで帰ってこられるのだから、満足できる日程である。

この日は、午前4時起床。始発の電車に乗って、9時前に花巻駅に着いた。通学の女子高生がぞろぞろ降りていく後ろに着いて改札口をいったん、抜けた。花巻駅前は寂しい。コンビニが見当たらなかった。バスもタクシーも、東京であれば用済みになったような、20年近く前の車両が目に入ってきた。バス停の時刻表は手書きだった。なんとなく、ノスタルジック。宮沢賢治の時代まで連れ戻されなくても、懐かしい風景だ。

1番線から、花巻発9時11分の快速はまゆり1号に乗車。盛岡から来る列車であるが、駅の構造上、ここでスイッチバックする。シートはクロスシートであるが、盛岡〜花巻間は後ろ向きで走ってきたようだ。キハ100系というのか、このタイプの気動車クロスシートというのは初めて見た。

乗車記として記すべきことは多くない。車掌は女性。土沢と宮守の間で検札があった。あたりは雪景色。遠くに山。手前に田畑。東北の旅情という感じである。宮守の次は遠野だから、その名の通り快速は速い。遠野に近づくと一気に山に入っていく。10時1分、遠野到着。

遠野駅の駅舎は、古くて品格がある。2階はフォルクローロ遠野というホテルだと、あとで知った。

遠野観光の話は、また後で。

遠野発12時45分の快速はまゆり3号に乗車。遠野の次の停車駅、岩手上郷を過ぎて山が深くなる。上有住〜陸前大橋間の景色はすばらしかった。種村直樹氏は何かの著書で「あきずに一日中ながめていた」と書いていたと思う。列車の本数はそう繁くないから真似しようとは思わないが、私の今まで経験した三大車窓に加えていいぐらいである。

釜石には13時34分、定刻に着いたと思った。乗り換える列車は、13時40分発の三陸鉄道南リアス線である。駅の構造も知らない。きっぷを買うのに手間取るかもしれない。不安に駆られて、出口方向へ駆けていった。ホームから階段を下りると、真ん前に乗り換え口があった。なんのことはなく乗り換えられた。

車両は、自動販売機も載っているような独特なものだった。車内には近くの小学生か幼稚園生の絵がかかっていた。最初の1駅2駅ぐらいは起きていたが、トンネルばかりだった。トンネルを抜けて外の景色が見えたと思ったら駅で、駅を出るとまたトンネルに入る。おもしろくなくて、寝た。起きたのは陸前赤崎駅のあたりだった。終点盛駅のひとつ手前である。

三陸鉄道は、特定地方交通線第3セクター化第1号である。南リアス線では盛〜吉浜間の国鉄旧盛線を引き継ぎ、建設中だった吉浜〜釜石間を引き受けた。だから吉浜ぐらいは起きてなければならなかったのだが、寝ていた。

盛到着は14時28分である。南リアス線では、青春18きっぷを提示すると500円だかで乗れるという企画をやっていると耳にしていた。釜石駅で駅員さんに確認すると、下車時に提示してくださいと言われた。そして、盛駅到着。車内の運賃箱に立つ運転士兼車掌に18きっぷを見せて、手のひらに500円玉を乗せて立ち去ろうとしたら、呼び止められた。530円だったらしい。

釜石から盛まで、ふつうに乗れば1,050円である。それを半額で乗れるのだから、すばらしい。JRと協賛しているわけでもないのだろう。半額にしてでも、旅行者に三陸鉄道に乗ってもらおうという配慮に違いない。

盛駅、向かい側のホームには、14時46分の一ノ関行き大船渡線列車がすでに待ち受けていた。

盛駅の構内はなかなか広い。岩手開発鉄道があるせいだろうか。とはいえ、この日、曇り空の下でなかなかパッとしなかった。そういえば、この駅は、種村直樹氏が国鉄完乗をなしとげた駅であったと思い出したが、文脈とは何も関係ない。

只見線

2004年12月27日に只見線に乗っている。以下はそのメモである。

只見線は、会津若松と小出を結ぶ135.2kmの路線である。小出というのは、新潟県魚沼市。この年の10月23日の新潟中越地震で被災した地域である。上越新幹線が被害を受けたのは大きく報道されたし、また上越線も幹線ゆえ報道での取り扱いがそこそこあったが、実際のところ、只見線も被害に遭っている。ネット上のあるサイトでは、レールは左右に曲がり、隆起している様が写し出されていた。その後、只見線は11月20日に復旧している。

只見線に乗るなら冬である。国鉄末期、赤字減らしのために只見線廃線候補となっていたが、福島・新潟の豪雪地帯を走る路線であり、並走する国道は冬期は通行止めとなってしまうことから、バス転換できず、廃線を逃れたという経緯がある。ローカル線らしく、本数は少ない。全線通して走るのは上下線とも一日各3本。1番列車は6時台に出るし、3本目の最終列車が着くのは21時頃。泊りを覚悟したくなければ、昼にある1本が唯一の選択肢となる。加えて、在来線のみで乗り継いでいこうとすると、小出発13時12分、会津若松着16時59分という上りのみが現実的な解となる。

さて、この前日、仙台から東京までどう経由して帰るかというのが課題であった。東北本線直行ではおもしろくない。かといって、磐越東線水郡線も乗ったことがある。とすると、只見線に乗りたくなるのだが、これが難物で、会津若松発13時8分の列車は小出までは良いが、そこから乗り換える上越線列車が越後中里で止まってしまい、在来線乗り継ぎではその日のうちに帰れない。30キロ先の水上まで行けばもっと遅くまで電車はあるのだと思うと口惜しくなる。

ところが、思いがけずにうれしいことが起こった。小出から乗ることになる上り上越線列車が、12月18日から2月28日まで水上まで延長運転されることになったのだ。しかも、水上着は19時52分。乗り換えの高崎行きは19時54分発と、接続も極めて良い。なぜかは知らない。スキー客がふえる冬だからなのかもしれない。ともかくも、これを逃す手はない。これは私のためのダイヤなんだと思った。

さて、当日。仙台駅前にバスが7時42分着。予定では7時37分着だから、5分遅着。かなりシビア。終点まで乗ったのは私だけ。

7時47分、仙台発。5番線。ギリギリセーフで乗れた。700系4両編成。大河原でほとんど降りた。車掌のイスに座る。「忍錠にて解錠にて」と書いてあるが、金属片を突っ込んだら車掌席が降りた。使えた。9時6分、福島でほとんど降りた。ゴミ清掃のひとが通っていった。同じ車両が、9時40分発の郡山行になる。郡山10時27分着。この列車、このまま10時42分発の黒磯行きになるそうだ。

時刻表の上では、まったく別の3本の列車であるが、この電車、7時14分に松島を出て、11時43分に黒磯に着く。4時間半の大旅行をしているのだな。車両の運用というのもの、ときどき考えてみると面白い。

郡山駅、もっとも本屋寄りは2番線である。1番線は線路が撤去されている。磐越西線は2番線から。10時52分発の臨時快速に乗る。このあと11時10分の普通電車でも間に合うが、臨時というレアものの響きには弱い。郡山駅2番線と3番線の間には、光のページェント号が待機していた。

クハ455-306。ボックス・シートの一画を陣取る。ひとつむこうの人が自分撮りを試している。カメラを、テーブルに置いたり、窓枠に寄せたり、背もたれの上に乗っけたり。自分もよくやったものだ。

磐梯熱海で列車交換のため、3分停車。快速ゆえに、駅を飛ばしてきたわけだが、ここで3分もロスなら、駅を飛ばすこともないのにと思ったり。更科信号所でまた交換。会津若松に12時ちょうど着。

会津若松で1時間、潰さねばならない。夏の苦い思い出もあるが、それはさておき、駅前でテレビの収録をやっていた。駅舎を背にしたレポーターが「さーて、とうとう会津若松までやってきました」と言っていた。駅舎の中から興味深くうかがう人たち。何のテレビ番組かは不明だった。

待つこと1時間あまり。会津若松13時8分発が入線。2両編成キハ40-2024とキハ48-546。乗員3名。手動で重い自動ドアを開ける。続々とおばあちゃんがたが乗り込む。出発。七日町で中学高校生がたくさんのってきた。若宮でいっぱい降りた。私は北海道旅行の帰りである。いい加減疲れて、寝る。

駅に止まっては目がさめて、ときおり、ターンテーブルなどが見えた。蒸気機関車時代の名残だろう。雪はより一層深くなってくる。会津川口8分停車。ホームに降りて、列車をバックに自分撮りを試みる。煙草休憩をしている乗客のひとが「自分で撮れんの、それ」と声をかけてくる。「えぇ、だいたい見当をつけて」と口を開いたところでシャッターを押したらいい表情だった。

本名〜会津蒲生間は、ホームが短い。後ろの車両のドアは開かない。只見線で一番有名な鉄橋を過ぎた。写真でしか見たことがなかったが、只見駅の手前のそれであったようだ。寝過ごさずにすんで、よかった。さて、只見駅只見線というだけあって、只見駅が中心である。20〜30人乗車してきた。6分停車。この駅もターンテーブルあった。

只見前後で、さっきの煙草休憩のひとが携帯電話で商談をしているのが聴こえてくる。商談は雑談に移った。「140kmの道を4時間かけて…。1日に3本しかない…。今日は越後湯沢で泊り。明日はぐるっと回って夜帰ってくるつもり」などと話をしている。このおじさん、鉄らしい。60歳前後のおじさんで、テーブルには缶ビールとピーナッツが広げてあった。

只見〜田子倉間で長いトンネル。県境なんだろうか。ここで、検札。JR北海道&東日本パスであったが、ここで初めて、スタンプを押してもらう。5日間の使い終わりの日。「会津若松運輸区」である。記念押印というのか、はからずしもいい記念になった。

しかし、それにしても寒い。どんどん暗くなってくる。と、気づいた。うしろの車両にはデッキがついて2重扉になっているが、この車両、そんなものはないから暖気が逃げていく。とはいえ、せっかく乗った車両だからと、乗りつづける。乗客約3名。鉄道少年と件のおじさん、そして、私。後ろの車両も人影が、ほぼ、ない。

16時30分、田子倉通過。右手、暗いシェルターの中に駅名標が見えた。もちろん待つ人はなし。大白川での停車も、ドアを開けたまま。ここで、おおきな南京錠のような、タブレット交換というヤツを、初めて見た。

小出17時42分着。4番ホームは、スプリンクラーで融雪していた。雪を溶かす水がチョロチョロ流れている。ここで、今日から上越線開通により時刻が変更になっているのを知る。新潟中越地震で不通になっていた小出〜宮内間がこの日から運転再開されたのだ。確かにニュースで聞いてしってはいたことだが、時刻変更とまでは考えが及ばなかった。

びっくりして、水上からの電車があるか心配する。駅の掲示板をなめまわすようにして、見る。果たして、あった。よかった。さて、安心したらおなかもずいぶんすいてきた。売店にはたいしたものはない。駅舎で考える。牛丼でもそばでも食べられないかと下りに乗ることにする。小出、17時51分発。5分遅発。越後堀之内北堀之内、と止まる。電車の中から駅舎を眺めるのだが、小出の方がずいぶんと賑やかだったことを知る。

さて、ここで問題である。駅に掲示されていた時刻表によれば、この下り電車は「越後川口18時35分」である。私が小出から乗ろうとしていた上り電車は「越後川口18時32分」である。ここまま越後川口まで行ってしまうと、電車が捕まえられない計算である。北堀之内の人気のない駅舎で30分も待つのはさびしい。かといって越後川口まで行くとすれちがってしまう。

しかし、ふと、ここである事実を知る。それは、ごくごく初歩的なものだった。そういえば、宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でも類似の話が紹介されている。気づいてみれば、つまらない話である。越後川口には、18時9分に着いた。運行再開間もない徐行運転と雪のため、4分遅着である。この電車はここで20分待って、18時35分発になる。

越後川口〜越後滝谷間は、単線運転だったのだそうだ。その交換駅が越後川口。上り列車がやってくるまで、下り列車は待機をする。「越後川口18時35分」というのは、発時刻であって、実際にはずっと前に着いているのであった。それだけの話であるが、実際に、よく知らされずに経験してみると、ドキドキするものである。

越後川口の待合室には、女子高生がいた。暖房のためとはいえ閉め切ったところでふたりきりというのは居づらいので、駅の窓口のガラス窓を開けてスタンプを押させてもらう。18時32分、越後川口発。上り列車で戻る。さきほどの下り列車もそうであったが、結構な賑わいで、立つひともいた。今日から運行再開だもんね。

小出に4分遅着。さっきの、煙草休憩のひとが乗ってくる。六日町9分遅着。越後湯沢9分遅着。スノボ板の人、何人か乗ってくる。岩原スキー場前、11分遅着。スキー場のオレンジ色の灯り。越後中里、ブルートレインのホテルが見えた。12分遅着、検札。ここで長く停車。もともとそういうダイヤで遅れを一気に取り返す。土樽を過ぎ、トンネルに入って、窓外に火花が散るのが見えた。後ろの若い男のスキー客2〜3人が「びっくりした」、「えっ? ハプニング?」と口々に喋っている。10秒ぐらいの暗転だが、突然だと長く感じる。水上、20時27分定刻、2番線到着。1番線には、高崎からの20時23分着が6分遅着で入ってきた。この折り返しに乗ることになる。

待合室をふらふらしているうちに改札開始。水上21時13分発。寝る。新前橋3分停車。前に両毛線からの3両連結。さむい。停車するたびに冷気が入り込んでくる。都市部に近づいたという証拠だろうか、駅に着くと自動ドアが開く。高崎22時23分着。5番線。この列車は、折り返し、23時10分の桐生行きになる。

高崎からは、4番線、22時33分発。E231系である。久しぶりに乗った。そういえば、10月16日のダイヤ改正以来ではないだろうか。4両目5両目に足が向くが、グリーン車車両はもう有料化が始まっていた。上野0時14分着。0時19分の京浜東北線桜木町行きの最終で秋葉原。0時22分着。0時29分の総武線各駅停車で御茶ノ水。終電の1本前。0時31分着。御茶ノ水止まりである。もうそんな時間である。向かい側のホームから「中央線の」各駅停車に乗る。武蔵小金井行き終電。次駅水道橋下車。ガード下のらんぷ亭でチキン丼を食べて今回の旅行はおしまい。

津軽線

2004年12月26日に津軽線に乗っている。以下はそのメモである。

津軽線の青森〜蟹田間は既乗。もっと言えば中小国まで既乗であるが、乗ったのは津軽海峡線の特急とか急行だったから、停車はおろか、ホームすらない。今回は特に印象深かった蟹田三厩間を中心にメモをする。

この日の朝、5時35分に青森駅着。札幌発の急行はまなす長万部から乗車した。前夜は踏み切り事故で大幅にダイヤの狂った津軽海峡線であったが、一夜で定刻運行が復活している。まだ薄暗い中、他のホームには、特急のいなほやつがるが待機している。青函連絡船はなくなったとはいえ、終着駅の貫禄は十分である。

6番線から、6時5分発の蟹田行き。発車の10分ほど前にホームに入ってきた。特急つがるに使われるE751系間合い運用である。雪の降る中、暖色系の色が映える。

さすが特急車両と思わせる良い車内である。クロスシートの座り心地がよい。余談だが、この列車には、車内でのみ発売されるというグリーン券がある。いまでこそ、湘南新宿ラインなどは、青春18きっぷでも乗れるグリーン車があるが、こうした特急車両が青春18きっぷで乗れるというのは、おもしろい。ただ、値段は、確か、750円だったと思った。というわけで、普通車に乗った。いや、普通車でも十分すばらしいのだ。

列車が動き出すと、すぐ、眠りについた。起きたのは蟹田に着いてからだった。2番線到着。もう日が出ていて、明るくなってきていた。せっかくならこの列車で三厩まで行ってくれたらいいのに、と考えて、ふと思い直す。ここから先は30kgレールだった。それに、三厩の1面1線の小さなホームにこの特急が止まっていたらどんなにシュールだろう。そこまで考えて、またふと思い直す。いや、それはいいかも。

雪のつもったホームを慎重に歩き、跨線橋を渡り、いったん、待合室に入る。今度は3番線から、7時17分発の三厩行きに乗る。キハ40といったか、白地に赤いラインの入った車両だったと思う。ボックスシートの一画を占領する。乗客は10人いたかどうか。そのくらいだった。

蟹田三厩間は一日5往復しかない。そのうち青森駅に直通するのは1本のみ。たった28.8kmではあるが、これを乗らないことには、完乗は果たせない。難易度では岩泉線ほどではないが、それでもやはり、そんな運行状況を知った当初は驚きで、まさか、それに乗る機会を得るとは思わなかった。この先は、目をぱっちりあける。

次の中小国は、「雲のむこう、約束の場所」に登場した。それだけの縁であるが、実物を見れば思い出す。ここから、津軽海峡線のレールが右手に登場する。複線だ。堂々とした様で、そのまま高架橋を登っていく。下り線は、上りきる前に、上り線と離れて、ちょっと大回りをする。北海道新幹線への布石である。

次の駅は、「大平」と書いて「おおだい」と読む。「平」と書いて「たいら」と読まないのは、花輪線の「八幡平」と同様か。津軽線のこの先にも「大川平(おおかわだい)」という駅がある。アイヌ語に漢字を当てたのかしらとツラツラ思うが、思考に材料がない。ここで語源を調べたらいっぱしのエッセイになるのだが、それをしないところが、メモの域である。

大平という駅がなければ、あるいは少し青森側に移設すれば、津軽二股まで津軽海峡線の高架を走らせることができたかもしれない。キハ40も新幹線も走る区間というのは、なかなかシュールでおもしろいと思うのだが、そうはいえど、海峡線にあるのは津軽今別駅であって、津軽線のそれとは違う。

運賃を比較すると、中小国〜津軽二股間は19.6km。JR東日本地方交通線で320円。中小国〜津軽今別間は14.3km。JR北海道地方交通線で260円。なるほど違うものだな。

津軽二股まで津軽線で行くと、5.3km長くなる計算なのだが、この長い分で、一山越えることになる。なんという山かは知らないが、木々には雪がまとわりついて、すばらしい光景だった。津軽線の一番の見所は大平〜津軽二股間ではないだろうか。

津軽二股の駅の手前で、津軽海峡線の車庫のようなものが見えた。高架より下方にある。もしかしたら、津軽線と渡り線でもあるんじゃないかと想像してみるのだが、そういう情報はないようである。

津軽二股の駅前は、道の駅である。「アスクル」という名だそうだ。文具屋ではない。北海道新幹線奥津軽駅決定という看板がある。2003年の9月に津軽海峡線を利用したときにも、同じ看板を見た。あの当時は北海道新幹線の着工自体は決まっていなかったはずだから、駅名のみが「決定」したということだったのだろうか。

津軽線は、津軽海峡線をくぐって、その東側に出る。大川平〜三厩は不覚にも寝た。大川平のあたりで、遠くのとおり沿いにパチンコ屋を見た。こんなところにもあるんだなぁ、と文化の息遣いを感じた。

三厩には7時56分着。駅舎のあたりをうろつく。乗ってきた列車は折り返し、8時5分発の蟹田行きになる。これに乗車することになる。三厩滞在時間は10分ない。今日は、後に計画が詰まっている。三厩で見所があれば、もっと滞在する計画も立てたが、どうもめぼしいものはなかった。むかしは三福航路というのがあって、北海道に渡れたそうだが、今はない。夏場であればそういうプランもあったかもしれないが、ともあれ、この日は、そさくさと引き返した。

さきほどは寝てしまった区間を戻る。左手には海が見えた。日が昇ってきて、美しい。右手に青函トンネルを出たばかりの津軽海峡線の高架橋が見えた。これはまたすぐ別のトンネルに入るのだが、そのちょっとした間隙で、白地に紫の列車が青森方面に行くのが見えた。白鳥41号だろうか。

蟹田着8時46分。1番線到着で、すぐ待合室にはいる。ストーブを囲んで津軽弁で談笑するおばさん方がいた。2番線から9時9分発の普通列車で、青森に戻る。青森には9時53分、6番線着である。