大船渡線

2005年1月20日大船渡線に乗っている。以下はそのメモである。

青春18きっぷが残り1回。そして、有効期限は今日。ふたつの意味で「最後の日」である。

この日のプランとしては、2通り考えていた。仙台駅6時44分発の東北本線下り。一ノ関で乗り継いで…、ここからが問題である。1つは北上駅で1時間待って、北上線奥羽本線で秋田まで行って、大曲まで帰る。田沢湖線で盛岡。あとはひたすら東北本線上りで帰路。もう1案としては、一ノ関から盛岡。山田線・釜石線と乗り継いで、花巻から後はひたすら東北本線上りで帰路。どちらとも決めかねず、出発したのであった。

この日は5時起床。仙台駅では地下で迷った。地下の在来線改札口から入ろうとしたら、地下商店街がまだ開いておらず、遠く離れた仙石線の改札口まで走らされる羽目になった。4番ホームからの6時44分発一ノ関行き電車にはかろうじて飛び乗れた。3両目であったか。車両の前部に運転台があって、ひとが座っていた。運転士か車掌か。この列車に乗務するでなく、次の勤務への移動なのだろう。そんなことを気にしながら、早起き分の睡眠時間を補うべく、松島を過ぎたあたりで眠りに着いた。

よく眠った。塩釜到着のアナウンスで目が覚めた。びっくりした。塩釜は松島の手前である。景色も逆方向に流れている。なぜだ。とはいえ、東北本線でも輸送密度の低い区間である。いまから逆方向の列車を捕まえても、上記2つのプランの遂行は無理である。おとなしく仙台まで戻ることにして、また眠りについた。

8時21分、仙台駅6番ホーム到着。空腹を癒すため、ホームで立ち食い蕎麦を食べた。そのうちに、8時51分発の快速南三陸1号が入線。これに乗ることにした。

それにしても不思議なことがあるものだ。なぜ仙台発の列車が仙台行になっていたのだろう、と考え始めた。仙台から一ノ関までは1時間半かかる。行って帰って3時間。とすると、もう10時近くなっているはずだから、途中の駅で戻ってきたに違いない。とそこまで考えて思いついた。3両目の前にいた乗務員の姿。どこかの駅で前2両を切り離したのだ。私は飛び乗ったからアナウンスは聞き逃していたが、一ノ関まで行くのはきっと前の2両のみであったのだ。時刻表で確認すると、列車は小牛田で切り離し、折り返し仙台行きになった模様であった。

ともあれ、快速南三陸1号に乗った。2〜3分遅発のアナウンスがあった。昨日は快速南三陸4号で帰ってきた。逆コースである。南気仙沼の手前で起きたので、下車。定刻10時52分の到着だったと思う。気仙沼の街をとぼとぼ歩いて、12時半ぐらいに気仙沼駅に着いた。

大船渡線一ノ関行きはすでにホームに入っていた。大船渡線の盛〜気仙沼間は2005年1月19日に乗車している。ほとんど寝ていたが、それでも乗車は乗車である。ひとつ書き加えると、そこで、ひとつ達成したことがある。

私の完乗ルールでは、新幹線はすべて別線扱いしようと思うのだけれど、その方式計算すると、2004年末で9,906.3キロになっていた。1月19日、大船渡線に乗る前に釜石線を完乗しているから、9,996.5キロになる。10,000キロは大船渡〜下船渡間で迎えた。ほぼ折り返し地点である。

さて、大船渡線は12時43分、定刻発車気仙沼駅から5kmほど、新月駅の直前で岩手県に入る。ここで宮城県内の在来線完乗を達成した。都道府県別に見ると、埼玉県、静岡県福島県に次いで4県目である。

さて、鍋弦路線をドラゴンレールと呼び変えている大船渡線であるが、原敬我田引鉄の話はどうでもよい。ひたすら本を読んでいた。車中というのは余計な遊び道具がなくて、読書に集中できる場でもある。一ノ関には14時2分着。

一ノ関からは14時53分の仙台行きに乗車の予定である。乗り換え時間は50分と長い。駅前を散策することにした。古い武家屋敷(旧沼田家武家住宅)を見た。