国立支線


2004年9月1日に、「国立支線」を通っている。


「国立支線」というのは、中央線と武蔵野線の短絡線である。新小平と国立を結ぶ単線で、貨物線ないし営業列車の回送用に使われている線路で、営業キロは設定されていない。こういった路線に乗車することを「完乗」の要件とするか否かは後々きっちりと考察することにして、とりあえずは番外編として書いてみる。


どうもこのところ、決まりきったことしか書いてなくておもしろくないのである。宮脇俊三のように地理・歴史のバックグラウンドがあるわけでもなく、時刻表で遊ぶでもなく、同行の編集者をいじるでもなく、そういう旅ばかりしていると、経験することも無味乾燥になってくる。たまには余計なものも書き付けてみたい。


先日、Silphireさんの手によるパロディ版「銀座線」を拝読したのだが、これにはいたく感激した。自由に遊んでいる、という気持ち。無味乾燥になりがちな記録に終始しているこの日記も楽しんで書くことができるかもしれない、そういう発見があった。


余談ながら、自分が銀座線をつづるならどんなものになるだろう。浅草駅の改札口は、そこに至るまで昇ったり降りたり、今でも迷う。田原町駅近くの銭湯に通った思い出。上野駅近くの地上車庫手前にある、珍しい「地下鉄の踏み切り」は、散歩道にあり、時々通る。三越前駅では、わざわざ半蔵門線に乗り換えて、30分の乗り換え時間を利用して本屋に寄ったこともしていた。新しくできた溜池山王駅では、ある決意をしたっけ。渋谷駅の地上3階にあるホームに着くたびに、よくある小話を思い出す。


そういえば、銀座線を通して乗ったことは、ここ数年、あったろうか。銀座線は、なんとなく埃っぽい。古い地下鉄ならではの、暗さと狭さがある。トンネルの高さは抑えられて電気は第3軌条方式。直流600ボルトを取る。パンタグラフのついてない電車に乗ったのは銀座線が始めてだったと思う。どこで手に入れたろうか、小学生の頃使っていたしおりは、銀座線01系車両のものだった。思い出すのは古い思い出ばかりである。


旅行記をつづるのもよいな、と思いつつ、生活小景もつづり方によっては面白い。どちらかというと、後者の方が得意ではあるけれど、とりあえず、今日は、「国立支線」の乗車記を書いてみる。


2004年9月1日。八王子まで行って、八王子発大宮行きの「むさしの号」に乗るわけである。臨時列車であるが恒常的に運転されている。その前身は新幹線リレー号だったらしい。要するに、八王子方面から東北・上越新幹線に乗る客を大宮まで送るという使命があったのである。現在の使命は知らないが、歴史的経緯というやつか。


以下は、この日の日記を転載する。



快速むさしの号は16時42分ごろ入線。リクルーター集団のような、若いスーツ姿の男女が5〜6名で乗ってきた。乗り込むとき、運転士さんになにやら尋ねていた。そして、「へぇぇ、それはおもしろい」というような頷きようで乗り込んできた。いいなぁ、こういう列車は、私も偶然に乗り込みたいものだ。


クモハ115-318。先頭のところは、やはり鉄道マニアらしき少年が陣取った。私は4人がけボックスシートをひとりで占領する。


16 時51分、八王子発。17時2分、立川着。この間、ふつう快速でも停車するから、まるで特急のよう。17時6分、立川発。このとき、運転士が遮光カーテンをおろした。トンネル区間に入る準備である。列車はトロトロ走りながら、国立駅を過ぎた。列車が左右にゆれる。おおっ、分岐線に入ったか、と思えど、いや、実は単に中央線が工事中というだけの話であったりするが、そうこうするうちに、列車は、上下線の間をトロトロと地下に潜り始めた。単線。等間隔をおいて蛍光灯と、非常電話の灯かりが見える。トロトロ、トロトロ。鼓膜に気圧がかかっているらしく、地下に下がっているのが分かる。どこで武蔵野線に合流するのかとわくわくと待ち受けるが、相変わらず暗い中を、トロトロ、トロトロ。


トンネルの中、右手に武蔵野線のオレンジ色の電車が見えた。新小平を17時14分に出た府中本町行きの電車だ。電車が過ぎると明るくなった。ちょっとだけ、新小平駅である。通過。また、トンネル。トンネルを出て、17 時25分、新秋津。地上部に出たゆえか、運転士は遮光カーテンをあけた。

とりあえず、話はここまでである。続きは「大宮支線」の項で。