篠ノ井線


2004年8月27日に篠ノ井線に乗っている。以下はそのメモである。


篠ノ井線は、塩尻篠ノ井間、66.7km。この日、塩尻〜松本間は、岡谷から乗車した中央本線列車で通った。岡谷へは飯田線列車で出ているから、ついでながら、飯田線中央本線との接続駅、辰野からメモを始める。


天竜峡を9時36分に出た電車は、12時37分に辰野駅に着いた。発車は、12時46分。9分停車の旨の、女声車掌のアナウンスが入った。天竜峡からワンマン運転であったが、突然の肉声である。ここからは中央線であるから処遇が変わったのかと思ったが、思えば、ここからJR東日本の管轄なのである。


中央線とはいえ、いまは支線扱いとなっている、いわゆる「大八まがり(まわり)」という部分である。中央本線の本線たる部分は、塩嶺トンネル開通後、みどり湖経由となっている。岡谷塩尻間、辰野経由は27.7km、みどり湖経由は11.7km。数字で見ると2〜3倍、そんなもんかとも思うが、地図を広げてみてみると、「大八まがり」の迂回具合に驚く。時刻表のさくいん地図の比ではない。


9分の停車を利用して、駅舎の外に出てみた。銅像を探しに行ったのである。伊藤大八という代議士の銅像が建っているらしい。この代議士、大八まがりの功労者である。手近なところで、先頃読了した宮脇俊三『鉄道旅行のたのしみ』(集英社文庫)から引いてみる:


中央本線のルート決定にあたっては、塩尻経由か伊那谷経由かで地元が激しく争った。けっきょく塩尻経由に決まったが、伊那谷側に伊藤大八という政友会の代議士がいて、強引な議会工作をやり、辰野まで中央本線を引っ張り込んだのである。この大迂回は「大八曲がり」と呼ばれ、松本へ向かう客は遠まわりをさせられているわけだが、地元にとっては恩人ということで、辰野に大八先生の銅像が建っている。(p. 76)
銅像が建つのは駅前だろうと勝手に想像していたのだが、見当たらなかった。我田引鉄銅像といえば、大野伴睦であるが、その銅像岐阜羽島の駅前に建っているという。見たことはないが何度か聞いた話なので、そのイメージであった。


辰野から、大八まがりで塩尻に向かうのも案ではあったが、どうも都合のよい列車がない。13時2分の列車は、13時23分塩尻着である。塩尻から接続するのは13時41分の松本行であるが、この列車、辰野から岡谷に出た場合、岡谷から接続する列車である。


完乗を頭にいれると、中途半端な乗り残しはよくない。大八まがりも完乗できず、みどり湖経由にも乗れず、というのは良案ではないと考えて、岡谷まで出ることにした。大八まがりの辰野〜塩尻間については、後に中央本線を完乗する際に、そちらまわりになる列車を選ぶことで乗ってみたい。


岡谷着、12時58分。0番線到着。0番線は行き止まりで、先には駅舎がある。こういうのは終着駅の風情で好きだ。降りると、空気がひんやりした。避暑地へでも来た気分だ。さすが、長野だ。30分の待ち時間をどうするかと駅前に出ると、地図があり、諏訪湖というのが大きく書いてあった。さすが避暑地。湖まである。行こうと思ったが駅2〜3つ分もあって、あきらめた。


岡谷駅3番線から、13時30分発。水色に塗られた115系電車だ。長野、山梨あたりでは、よく見る。諏訪湖がダメならみどり湖とやらを見てやれと、運転席うしろに立つと、運転席から右腕がにゅっと伸びてきて、遮光カーテンがおろされた。鉄っちゃんへの意地悪がごとし。不快な気分にさせられる一瞬である。


岡谷駅の西方には頭上高くに高速道路が通っている。鉄道だったらとんでもないほどの高さだ。その、長野自動車道の高架橋をくぐり、線路は右に曲がっていく。すると、すぐにトンネルに入った。塩嶺トンネルだ。全長約6km。長いトンネルだ。遮光カーテンを下ろしたのもうなずける。


岡谷から6分で、みどり湖駅。無人駅のおもかげ。みどり湖は見えない。みどり湖というのは、帰宅後調べたところ、駅から1kmほど東方にあるようで、見えないのもあたりまえ、というとこであった。ともかくも、この駅に着くと、運転士はカーテンをあげた。あと4分で塩尻である。


塩尻駅構内。線路が分岐してどんどん広がっていくが、まずは見るのは右手方向である。旧塩尻駅は、現在の駅舎よりも500mほど手前にあったという。その場所を見てみた。これといって、分からない。


中央本線は、東京と名古屋を結ぶ424.6kmにも及ぶ路線であるが、塩尻駅を境にその性格を異にする。中央東線中央西線という呼び方の別、そして、中央西線に至っては名古屋行きが「上り」である。塩尻から出発する中央線列車は、どちらに行くにしても「上り」になるということである。


中央本線を東京から名古屋まで直通する列車というのはない。貨物はあるが、旅客はない。塩尻駅が移転する前は、名古屋方面からの列車は、塩尻駅に着いた後、後ろ向きで松本に至っていた。その不便をなくしたのが塩尻駅の移転であったわけである。留置線がたくさんある広い駅構内では、貨物線が一本。中央東線中央西線を短絡しているのが見えた。


13時40分、塩尻駅、2番線到着。3番線には、123系、ミニエコーが見えた。1両編成ワンマンカーである。JR東日本には1両しか残っていないという。1両しか、というところに価値がある。これこそ、今日、乗車をあきらめた、辰野発の列車だったのではないだろうか。そうと気づくと、また乗りにきたくなる。


さて、ここから、やっと篠ノ井線に入る。0キロポストは6番線脇に立っているというが、もちろん、ここからでは目が届かない。


出発して2つ目、村井駅からは、高校生がいっぱい乗り込んできて、うるさい。そのうちのひとりにお寺の子がいるらしく、家を建て替えるの何のという話をしている。ただただ耳に入ってくる会話で、容姿など見もしなかったが、お寺の子とはいえ、変わらない振る舞いだと思った。


左手に貨物の引込み線が見えるようになった。何の工場かは知らないが、南松本の駅では右手に操車場のようなものが見えた。13時56分、松本着。いそいで階段を駆け上がり、改札口を出て、観光案内所に入る。旧開智学校松本城を見学するにあたっての案内図をもらう。割引券はないという話。そしてまた、いそいで改札口を入り、6番線に降りる。松本電鉄のカラフルな車両が見えたが、カメラを構える暇はない。


14時5分の快速信濃大町行きに飛び乗る。E126系という電車を初めて見た。ロングシートボックスシートから成る車両。14時7分には北松本着。わずか2分。800mの大糸線体験であった。まったく未乗にしておくよりも、ちょっと足を踏んでおけば、なんとなく次につながりやすそうだという気持ちがそこにある。乗ってきた電車は、上下線すれちがいのため3分停車の模様。北松本の駅舎は橋上の新しいもの。駅前にはタクシーが一台客待ちしていた。


旧開地学校と松本城を見学。


ふたたび松本駅中央東線にせよ、中央西線にせよ、ほとんどの列車は、松本まで乗り入れるわけだから、松本からが篠ノ井線、という気分になる。


松本駅、16時13分発の電車は茅野始発で松本には15時58分には着いている。15分の停車中に、私が乗り込んできたという次第。すでに2人が座っている4人がけボックスシートの窓際に入れてもらって、着席。定刻発車。先ほどの北松本の駅など、知らぬかのように、篠ノ井線の電車は通り過ぎていく。事実、ホームはない。


平瀬信号場で、上りの快速みすずとすれ違う。こちらは信号場をはさんだ松本〜田沢間を12分かけているのに、あちらは8分で走っている。快速のためにこちらが4分も待っていたわけだ。ダイヤとは上手くできている。ここらへんで、眠りに入り、列車が止まったところで起きた。そこが、ずばり、姨捨。17時3分着。いいところで、目覚めたものだ。


出典は知らないが、国鉄が選定したといわれる「日本三大車窓」というものがあって、石勝線狩勝峠篠ノ井線姨捨肥薩線矢岳越え、というのが挙げられている。狩勝峠については、すでに新線トンネルとなって廃線なのだが、ともかく、私はトマム新得間を乗ったことがある。日没後だったが。肥薩線矢岳越えについては、生きていればそのうち機会を作って行けることもあるかもしれない。やっとそのうちのひとつを見るに至ったのだ。


姨捨駅。電車は止まっているが、先のレールは途切れている。スイッチバックだ。おもしろいところへ来た、と思った。箱根登山鉄道以来、2度目の体験である。


善光寺平は絶景は、こういうものは筆舌に尽くしがたい。景色については描写を差し控えるのだが、このとき、なんとなく、デジャブを感じた。前にもここに来たことがある。いつだったろう。おそらく、就学前だ。記憶がずいぶん遠くなっている。ただ、思い出そうとすれば、思い出そうとするだけ、デジャブではなく、確かにある記憶だということが分かってくるようだ。


下の線路から、列車が過ぎる音が聞こえる。上りの(ワイドビュー)しなの22号だろうか、下りの17号だろうか。ともかくも、これだけの美しい景色を見ずして、特急は時間を惜しんで過ぎていった。駅構内のもう1本の線路には、貨物列車が入ってきた。バックで入ってきた。貨物列車がバックするところなど、初めて見た。17時9分発。私たちの列車は、一旦バックをし、そして、また、本線に戻った。運転手の行き来はない。後ろに乗っているのが運転のできる車掌なのか、あるいは、運転士がもう1人乗り込んだのか。


善光寺平をぐるりを回り込んでいくように、徐々に高度を下げていく。右手には長野新幹線の高架橋が見えてきた。篠ノ井から寄り添う。新幹線は、橋に登ったり、地面に降りてきたり、上へ下へと忙しい。街中であるからだろうか。すれ違う列車は、しなの鉄道のペイントのものが目立つ。17時36分、長野駅についた。ほぼ1年ぶりの長野駅である。