飯田線

飯田線に乗ったとは言いだせん。

事情はさておき、2004年8月27日に飯田線に乗っている。以下はそのメモである。

この日の目的地は新潟である。ムーンライトながらで北を目指した。「ながら」である。「えちご」ではない。「ながら」は人気ゆえ、直前まで頑張ってはみたが、指定券が取れなかった。

日暮里から横浜までの乗車券を買う。いや、それは正確ではない。品川で分割して買った方が安いので、まずは品川で降りた。吉野家で夕食。ふたたび、品川から横須賀線だったか、東海道線だったかで、横浜。

横浜駅の改札口前で、日付が変わるのを待つ。小学4年生ぐらいの男の子を連れた親子もいる。同じ事を考えているわけだ。定年間近ぐらいの男性と、新入であろうか若い女性の係員が、有人改札にいる。時計を気にし、日付が変わったと見ると、検印スタンプのゴム印を入れ替えた。

それを見るや、私は進み出た。青春18きっぷに検印をもらって、東海道線ホームへと向かう。0時を2分ほど過ぎているが、0時ちょうどの電車はまだ来ていない。大量のサラリーマンを乗せた電車は遅れて着いた。小田原で「ながら」に乗り換えるには、この2〜3本、後でも間に合うが、乗ってしまう。

東京から離れるにつれ、電車はすいてきて、座れるようになった。二宮で乗り換え。終着のひとつ前を選ぶのは、同じホームで乗換えができるから。

小田原で「ながら」をつかまえる。ここから自由席が発生するが、もちろん、空席などない。床に座って、豊橋までうとうとする。

豊橋。ホームのベンチに寝る。5時過ぎだったか、プワンを警笛を鳴らして電車が入ってきた。変な形の電車だ。これかと思って乗ってはみるが、どうも様子が違う。後で、名鉄と知る。

書きかけ。