鶴見線

2004年8月14日に鶴見線に乗っている。以下はそのメモである。

この日のきっぷは、ホリデー・パスである。鶴見線東京近郊区間だから初乗りきっぷで一筆書きでもと思わないでもないのだが、中間改札でどうなることか分からない。いや、それ以前に盲腸線であるわけだから一筆書ききっぷはできないのである。最初からありえないプランで考えを進めているあたり、この夏の暑さにやられているわけである。

今回の目的、鶴見線の未乗区間は浜川崎〜扇町間の2.3km。わずか2駅の区間を乗り残しているのだから嫌になろうといものである。しかも、その乗り残しをしたのがつい10日前のことだったのである。

8月14日は、始発で出て、川越線横浜線乗りつぶし、鶴見では9時ちょうどの扇町行きに乗った。先頭車両クモハ103-130。浜川崎までは後述するとして、浜川崎から記述を始める。9時13分に浜川崎の駅を出る。左手には貨物の操車場が見える。かつては発着トン数が全国一だったこともある駅だが、はて、何十年前の話だろうか。扇町には9時17分着。10日前にたった2.3kmを残して立ち去った鶴見線は、この時に制覇となったのである。さて、ふと見ると、親子連れがいる。リュックサックを背負った8〜9歳ぐらいの男の子を連れて、駅舎や駅名標などを見ている。父親の趣味が鉄道で、鶴見線探訪だろうか。父親の感じる楽しさがうまく子供に伝わっているかどうかは不明だが、無邪気にしていた。電車は折り返し9時30分発の鶴見行きとなったが、出発前には、私はもう寝入っていた。前夜は寝ていなかったのである。起きたのは鶴見駅についてからだった。

以下は10日前、8月4日の話である。この日は、鶴見線全線の完乗を目指して乗りに行った。
鶴見線を制覇しようと思うと、まずはきっぷの買い方が問題となる。鶴見線というのは、鶴見から出て、先が3本に分かれているようなフォーク状であるから、正直に買えば、例えば、鶴見〜海芝浦、海芝浦〜大川、大川〜扇町扇町から鶴見の4枚は必要となる。私は南部支線も未乗であったから、最後の1枚は扇町〜尻手となるのだが、ともかくも4枚であり、前3者はそれぞれ150円。最後の1枚を扇町から鶴見までとすれば160円、尻手とすれば150円かかる。合計金額は600円なり610円なりで、ここに家からの往復運賃が加わるわけだから、10km前後の区間を片付けようとするには、中途半端に割高となる。もちろん、北海道や九州の未乗区間を片付けるにはそんなものでは済まないのだが、なまじ身近な場所であるだけに、妙に吝嗇家になるのである。
ところで、毎度のごとく宮脇俊三著『時刻表2万キロ』を引くわけだけれど、同書では1章を割いて鶴見線を扱っている。ルートは、登戸から尻手を経て、浜川崎からまずは扇町である。「扇町から鶴見までの五〇円区間を買っただけで大川と海芝浦まで足を伸ばし、そ知らぬ顔で鶴見の改札口を出させてもらった」(河出書房文庫版p. 48)という。「大川でも海芝浦でも駅の構外へとは出ずにすぐに引き返したから、たぶん不正乗車の扱いはされないと思う。」と続け、さらに誤乗の規程を引いているのだが、それは違うだろう。昔は知らず、現在それはやはり不正乗車でなのある。
さて、とすると、フリーパスなどの利用が賢いが、こういったものはさらに高額だから、何かの機会に合わせることになるわけである。
というわけで、今回は、JR北海道&東日本パスを利用した。JR北海道&東日本パスは10,000円で5日間使える。1日あたり2,000円となる。この日は、夜、新宿発23時9分ののムーンライトえちごに乗ることになっている。この列車、新宿を出て最初に止まる駅は高崎である。新宿〜高崎間は1,890円で、2,000円を出すにはちと高い。もちろん、その後の旅程でそのくらい補ってあまるほどに充分に元はとれてしまうのだが、丸一日使えるきっぷを50分ちょっとに使うのは、やはり気分的にもったいないのである。
余談だが、賢いひとたちは、普通電車で北鴻巣まで行き、ここで車掌に日付印を押してもらい、高崎でムーンライトえちごを待ち受けるという。この場合、新宿〜北鴻巣間の運賃は950円で、確かに割安である。
とはいえ、新宿発のムーンライトえちごに乗るのは初めてだ。最初から乗ってみたいので、こらちのプランは我慢する。

夕刻、東京駅のJR北海道プラザでムーンライトえちごの空席を確認する。私のきっぷは出発数日というのに奇跡的に取れた1枚であったが、当時の残り1席は喫煙席であり、夜通し煙にまみれて過ごすのは耐えられないと、最後まで粘ってみることにしたのである。ラスト・チャンスを期待して訪れたみどりの窓口には、果たして、禁煙席の空きがあった。4号車7番D席。窓際である。ふだんはどんな列車でも窓際希望であるが、なにせ夜行である、トイレに立つには通路際が便利である。こういうときに限って窓際がとれてしまうというのもおもしろくないが、とにかく禁煙席はとれた。それに、今回は、楽しみ方次第というか、窓際は窓際でよかったのである。

東京駅丸の内口の地下にあるJR北海道プラザを出ると、正面が横須賀線の改札口。16時36分発の久留米行きに乗車。17時3分、横浜着。17時8分、大宮行きの京浜東北線に乗り換えて、17時18分に鶴見に着いた。

階段をのぼり中間改札を抜けると、目の前に待っていた17時20分発の扇町行きに乗車。意外にも複線電化であり、車両はかつて総武線各駅停車だったような「カナリヤ色」の103系電車の3両編成である。出発すると眼下に広がる東海道線の線路群を大きく跨いで、国道駅鶴見小野駅と過ぎて、意外に立派に整った路線だと驚く。左手には車両基地で、103系のカナリヤ色に染まる中、違う車両もちらほら見える。右手にも工場。工場地帯を抜ける。次駅弁天橋は島式。ホームの屋根は木造で、一転して都会の中のローカル線というたたずまいになった。右手には引込み線も見えるが、草むらの中である。そういえば、自分の乗っている鶴見線の線路にも、雑草がふえてきた。
次駅浅野。17時27分着。ここで降りて海芝浦行きに乗り換える。弁天橋からすれば立派な駅である。降りたホームは島式1面2線。ホームを降りて線路を平面で渡り、駅舎を抜けて、海芝浦行きのホームに行く。駅舎はきちっとしているが無人で、改札はなく、簡易Suicaリーダ・ライタが設置してあった。海芝浦行きのホームは相対式2面2線。
浅野という駅名は、浅野総一郎なる人物に因むという。この辺の埋め立て地を造成し、鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を設立したというが、聞いたこともない。扇町駅も浅野家の家紋に因むというが、聞いたこともない人物の話でこちらもどうでもよろしいが、近代人に因んだ駅名は珍しいと記憶にとどめておく。
17時32分、鶴見発の海芝浦行き電車に乗車。やはり、同じカナリヤ色の103系鶴見線は全部これなのだろう。2分で新芝浦、2面2線の相対式ホームである。下り線、海側のホームはまさに海岸ギリギリのところで、魚釣りの釣り糸が垂れられる。ここを過ぎると単線区間になる。といって、線路は複線で用意されているようにも見えるのだが、旅客が走るのは海側の線路で、陸側の線路は、右手に見える東芝の工場へとどんどん分岐して入っていった。工場と線路の間にはフェンスも何もなく、まさに工業地帯という様相である。
17時34分、海芝浦到着。ここのホームも釣り針が垂れられる。ホームの先には小公園があった。右手には東芝の工場。貼り紙があって、「これより先は東芝構内です 当社に御用のある方以外は入場をお断りします」とある。片道きっぷでは引き返せない旨の貼り紙もあり、東芝の守衛所で購入せよとのことであった。ここは、一般人が降りられない駅として有名だし、ときおり、思い出したようにテレビの取材も来る。訪れる一般客もそこそこあるのだろう。
今日は平日でもあり、今は夕方である。工場から帰る勤め人が続々と乗り込んできた。そんななかで一人だけこんな遊びをしているのは、申し訳なくなってきた。電車は、17時40分発となって鶴見へ引き返す。17時44分、また浅野で下車。
ホームを降りて、向かい側に渡ろうとするのだが、平面交差ゆえ、まずは乗ってきた電車をやりすごさねばならず、警報装置のついた踏切で待つ。下から見上げる電車というのは威容で、やたらと大きい。車輪はギラギラと鋭利な刃物のように輝いている。背筋がゾクゾクッと寒くなる。私などよくホームから電車に飛び込みたいと思うクチだが、この角度から見ると、とてもそんな勇気が出ないことを知る。
扇町行きは2分前に出たばかりで、タイミングが悪い。17時57分の扇町行に乗る。とはいえ、安善まで行ったとしても、大川行きの接続電車があるわけでもなく、次の大川行きには浅野から18時7分に乗れるわけだから、急ぐことなどなく、ここで待っていてもいいのであるが。
17時59分、安善着。この駅名も、安田善次郎の名に因む。安田財閥を一代で築いた人物だが、金融業者などどうでもよい。ホームからは貨物の引込み線がたくさん見え、ガソリンを積む貨車が停まっていた。スズメがやたらと降りているので何かと思ったら、弁当の白米を誰かが散らしていったらしい。
18時9分、安善から大川行きに乗車。レールは右へとそれていき、安善からまさに目と鼻の先の600m先の武蔵白石の駅をかすめるように、過ぎていく。どうせならここにも停車したらよかろうにとも思うのだが、線路の「戸籍」上は、この大川支線は、武蔵白石〜大川間となっている。先の宮脇著では、武蔵白石の駅から大川行きに乗車している。昔は停車していたようだ。「大川行のホームは、本線に寄り添うのを遠慮したかのような位置にあり、幅二メートルたらずの細く短いホームで、いかにも小ぢんまりしている。」(p. 45)とある。
余談ながら、同著では、「武蔵白石―大川間一・〇キロ」を「区間としては国鉄全線中で最短となっている。」と記してある。しかしながら、鶴見線は全駅間で1kmを超える区間はないのである。かろうじてちょうど1.0kmになるのが安善〜大川間で、安善〜武蔵白石間の0.6kmを引くと、武蔵白石〜大川間が0.4kmと算出される。0.4kmなら、確かに国鉄全線中で最短と思われる。
さて、レールは右へ右へとそれていく。右手に見える工場では、正面入口がここの線路の踏み切りにあたっていて、守衛が安全確認を送るように腕を上下させて合図を送っていた。18時13分、大川着。
折り返し、18時23分発となって、安善に18時27分着。安善から、18時34分の扇町行きに乗車。というところで、思案した。今夜はこれから5日間の旅行に出るわけだが、実はまだその準備ができていないのである。鞄に何を詰め込んだらいいものかすら、考えが及んでいない。23時9分の新宿発の電車に乗るには、そう、20時半には家に帰っていないとまずいだろうか。とすると、もうこんなところで、遊んでいる場合ではない。そう考え出すと気持ちがどんどん焦ってくる。浜川崎には18時41分着。扇町には18時45分で、たった4分の区間になるが、折り返してくると、それが30分のロスにもなるかもしれない。というわけで、この日の鶴見線完乗はわずか2.3kmを残し、目前にして諦めたのである。
浜川崎では跨線橋を橋って渡り、一旦、一般道へと出て、これも渡る。南部支線のホームは道路の反対側なのである。珍しい駅構造だ。南部支線というのはかつての南部鉄道であったから、その名残で、かつての鶴見臨海鉄道である現鶴見線の駅とは別になっているといわれる。
南部支線の浜川崎駅では、すでに電車が待っていた。時刻表によれば、これは18時39分発の電車である。その次は、19時17分発にまでなってしまうから、南武線との接続をよくするために待っていてくれるようになっているのだろうか。そういえば、それを知っているかのように、浜川崎で鶴見線を降りた人々は、みんなこぞって走っていた。
時刻表によれば、尻手まで7分程。南部支線の方は完乗となった。もちろん南武線はすでに完乗している。
尻手から川崎行きは、時刻表では18時45分の電車。これが4分遅発となった。2分で川崎着。18時53分発の東海道線東京行きは逃した。京浜東北線は本数があるが、後の東海道線に乗ってもその方が早く着きそうである。19時ちょうどの東海道線上りは品川止まり。トイレに行って用を済ませ、パン屋で夕食のパンを買って、19時5分発の快速アクティーに乗った。19時23分東京着。川崎で18時56分発の京浜東北線北行きの乗っていると、東京駅には19時24分に着くわけで、同じくらいである。とはいえ、川崎駅で10分程度でも時間ができたわけで、かなり落ち着いた。19時27分の山手線に乗って帰宅となった。
家に着いたのは20時前。鞄に必要なものを放り込んで、植木鉢に腰水して、21時には家を出た。新宿駅についたら、ムーンライトえちごの出発まで1時間以上あった。余裕があるのはいいことだが、浜川崎であと30分あれば南武線を制覇できたわけで、こんなところで時間が作れても配分が効率的ではない。鶴見線など行く機会もないところで、一度乗ったら、もう2度と乗らなくてすむようにしたい。妙な話だが、完乗を目指すひとは、いくらでも電車に乗りたがっているひとかというとそうではなくて、いかに電車に乗らずに全線乗るかという計算をするのが楽しみなひとなのである。