弥彦線

2004年8月28日に弥彦線に乗っている。以下はそのメモである。

弥彦線東三条〜弥彦間の17.4kmである。この日は、吉田から乗った。吉田には新潟から越後線で行ったので、新潟から記す。

この日は、一睡もせずに、新潟駅到着。0時半には玄関が閉まって真っ暗になっていた駅舎が、4時半には開いていた模様。駅は3時間の短い休息。それでも、ターミナル駅の玄関が閉まっているなんてのは、初めて見た。

青春18きっぷの4回目に押印してもらって、入場。5時1分の越後線吉田行一番列車は、6番線にすでに入線していた。4番線には4時51分着のムーンライトえちご、5番線には、その乗り継ぎ用か、4時57分の村上行き快速。なかなかの賑わいである。

6番線の吉田行も結構な乗車率。いや、ひとが多いように見えるのは、たとえば、ボックスシート4人がけを1人で占領して寝ている、なんてパターンばかりだからかもしれない。2人がけロングシートの片方を強引に空けてもらって、私も着席した。妙な思い込みだが、ムーンライトえちごに乗った客というのは、全員が全員、村上に向かうもんだと思っていた。吉田、柏崎方面に行く客も案外多いのだなということを知った次第。

ここらへん、新潟近郊は、だいたい115系である。車番を控えるのも面倒くさくなってきた。ともかくも、眠い。次の次あたりの駅で、対面するロングシートの客が降りた。席を移して、私も2人がけを占領する。そして、すぐに眠りにつく私。越後線も未乗区間であるというのに、こうも寝入っていては、気分の高揚もなにもない。

徹夜の身には、朝の日差しというのは厳しすぎる。北吉田の手前あたりで、あまりの日差しの強さに起きた。車窓右手、目に入ってきたのは、越後平野の緑色の稲が広がる向こうに、真っ黒な弥彦山だった。こうして見ると、確かに、あれは神々しい。信仰の対象になりそうである。

5時53分、吉田着。大半の客は6時の柏崎行きに乗り換えた。柏崎には7時9分に着くようだ。その先は、新潟から長岡回りで乗り継いできても同じ列車になる。とはいえ、彼らの行き先がどこになるのか、知らない。私は2番線から、4番線へと、跨線橋で乗り換えた。

6時32分の列車は、弥彦行の一番列車である。東三条からやってくる。新潟を5時18分に出る信越線列車は6時5分に東三条に着き、東三条6時13分発のこの列車に接続する。弥彦線制覇のために、信越線からやってきてもよかったのだが、行きか帰りの一方は越後線にも乗りたい。帰りの接続を考えると、行きに越後線を選んで、吉田で乗り換えに40分近く待つ、というプランになった。

人気の少ないホームで、ベンチに腰掛け、うとうとしながら待った。吉田〜弥彦間は営業キロで4.9km。歩いて歩けない距離ではない。40分待つなら歩いてしまうかとも思っていたが、どうも眠気の方が勝ってしまった。まぁ、もっとも、そうでなくても、5kmも歩きたくないが。しかも40分では。

電車がやってきた。電車である。ローカル線だから、てっきり気動車であるとばかり思っていたわたしは、ちと思い込みが過ぎる傾向になってきたようだ。以前は、気動車がやってきたら、ずいぶんと驚いたものだけれど、逆である。

そもそも、電車か気動車かぐらいは、時刻表を見た時点で気づいておけ、という話である。時刻表の列車番号には「220M」とある。「M」はモーター車つきだ。電車であるかぐらいは事前に分かる。とはいえ、こういった知識は事前に仕入れていない方が、このように旅の驚きが味わえるから、あえて見ないことにしているわけだ。

「220M」という列車番号から気づくことはもうひとつある。列車番号とうのは、ふつう、東京方へ向かうものが偶数である。地図上、東京を背にして走ってくるこの電車にも偶数の番号が振られている。加えて、この弥彦線、弥彦方面が「上り」である。なかなか珍しいことだ。

ともあれ、またかという感じの115系に乗り込む。2両編成。ワンマン対応で運賃箱もついているが、車掌も乗っている。通学客はほとんど降りた。出発。吉田駅の周辺は建てこんでいるが、数分も走ると田畑が広がる穀倉地帯が目に入ってくる。

右手、街道のあたりに、赤い大きな鳥居が見えてきた。かなり大きい。遠くからも見える。あれが弥彦神社かと思ったが、そうでもない。弥彦駅にはまだ遠い。

6時36分、矢作。「やはぎ」と読む。MS-IMEは一発で変換してくれた。どれだけのユーザが恩恵を被っているかは知らない。ともかくも、1面1線のホームに降りる客も数人いた。ドアは手動で開ける。モーターのついた重いドアを、だ。

弥彦には6時40分着。ここも1面1線。片面ホームであるが、駅舎は立派だ。弥彦神社の参詣用に、朱の社の駅舎となっている。降りていった客は、ハイカー風情が4〜5人。中年のおじさん、おばさんがてぬぐいをかぶってリュックを背負って降りていった。まだ駅員の配されていない改札口を抜けていった。

ふだんなら素通りしてしまう駅舎であるが、駅前には駅舎を撮るひとが3〜4人いた。大学生ぐらいの男性。鉄道マニアだろうか。やはり、弥彦線制覇を目指して? 同類になるのは嫌だが、私もカメラを構えて一枚撮った。

さきほどの電車は6時45分発となって吉田方面へと戻るが、ただ弥彦線を制覇した記録づくりに来たのではおもしろくない。やはり弥彦神社ぐらいは見ておかないとと思って、私は歩き出した。鉄道マニアとおぼしき3人は、電車へ戻ったのだろうか。ともかく、私は、数十メートル先にハイカーのおじさん、おばさんを追うように、標識には書いてない近道をした。

木立に囲まれ、弥彦山を背にした弥彦神社は、荘重だった。こんな立派な寺院建築が、こんなところで見られてしまうとは期待してもいなかった。もともと、弥彦駅へはバスで行こうと思っていて、バスの便を探していたのだが、ヒットするのは弥彦競輪ばかり。てっきり、ギャンブルに身を落とした街かと思っていたら、こんな立派な文化資産に出くわしたのである。境内には浴衣に雪駄の中年男性客がいた。温泉街が近いらしい。

弥彦山にはロープウェイが通じている。佐渡まで一望できるという。ここまで来たらぜひと思うが、始発は8時30分。まだ1時間半もある。温泉街を抜けて、ふたたび弥彦駅弥彦駅前のホテルは廃墟と化して、売りに出されている。さびれた温泉街の風情。

ふたたび、弥彦駅。女性駅長、というポスターがあった。いまさらという話題であるが、よく見ると、「女性観光駅長」となっていた。飾りなど意味はなかろう、とホームに入る。あとは来た道を引き返すだけ、芸のないこと。弥彦7時29分発の電車は吉田に7時37分に着く。弥彦線弥彦〜吉田間はまったくの単線で行き違いができない。単線区間の処理をする、タブレットだか、スタフ閉塞式だか、珍しいものがここにはあるそうだが、不勉強な私にはわけがわからない。

吉田からは柏崎発の電車に乗る。7時44分。住宅街へ入ってくるのが分かる。女子高生がやたらとうるさい。今日は夏休みであるし、土曜日であるが、部活動か何かだろうか。

西駅は無人駅。の駅は市の中心だけあって、大きい駅だったろうか。かつての、新潟交通鉄道線との乗換駅でもあった。その痕跡などは分からなかった。次は、三条である。停車。車内から駅舎を眺めた。さすがに新幹線が停まるだけあってデカい駅だ。だが、その駅舎が眺められるような位置に弥彦線は停まる。つまり、端っこ。隅に追いやられたような感じで不憫だ。ワンマン列車の運行の場合は、どうなるんだろう。在来線改札口は機能しているのだろうか。

三条を出ると、信濃川を渡る鉄橋。降りてすぐまた高架橋に登り、北三条の街中を抜けて、信越線に合流する。右手に信越線の下り列車が見えた。東三条8時3分発の列車である。この列車は8時5分着であるが、うまくすると乗れるかもしれない。東三条の駅の手前になって、自分らの列車は急に速度を落とした。トロトロ、トロトロ。信越線の列車には絶対のせてやらないからな、と言わんばかりに、急に、トロトロ、トロトロ。8時5分、平面ホームの0番線到着。レールは行き止まりとなり、先には駅舎があるというホームだ。トロトロも頷ける。降りて、すぐ私は駆け出した。もう1人、駆け出したひともいた。1番線からは、ちょうど、列車が出て行った。フラストレーションのたまる瞬間である。弥彦線は、あと5分早発のダイヤを組んでくれればいいのに。

そういえば、このあたり、7月13日の水害で数日止まっていたんだな。…とは旅行中に思い出しもしなかった。

ここから新潟駅に戻るわけだ。東三条8時3分発の列車に乗れていれば、新潟には8時57分に着く。次の8時16分発だと、9時5分着。その次に8時56分発というのがあるが、これだと9時32分着になってしまって、論外。私は9時26分発の列車に乗り継ぐのである。その次も見ておくと、なんと快速がある。8時41分に発って、9時18分に着く。これはちょうどよいと思って、当初の計画はこの「快速くびき野1号」に乗る予定にしていたが、そういえば、新潟で乗り継ぐ列車は8時52分入線である。早く着いて撮影などを楽しもうと思った。というわけで、一本繰り上げた。東三条から25分早い、各駅停車に乗った。25分早く発車して、13分早く着く。先ほどよりは昇った太陽の下、左手には田園風景の向こうに弥彦山の山陰が薄くみえた。