八高線


2004年8月17日に八高線を完乗した。以下はそのメモである。


八高線というのは、その字の通り、八王子〜高崎間を結ぶ路線であるが、「戸籍」上としては、八王子〜倉賀野間の92.0kmを指すことになる。加えて、高麗川を境に、北線、南線と区別して呼ぶ人もいる。北線は非電化であり、南線は1996年に電化されて川越線との直通電車がほとんどである。北線と南線はずいぶん様相が違うのだが、いずれにせよ、この日の乗車は高崎から通して行った。


高崎駅八高線ホームは3番線である。これがちと曲者である。高崎駅は、西口駅舎側に、まず一面一線の1番線。線路を跨いで2番線なのであるが、2番線の向かい側が4番線である。3番線の所在だが、2番線と4番線の島式ホームを南側に歩いていくと、4番線側を削るようにして3番線が設けられている。これを知らずに、その昔、信越本線経由で長野旅行、ついでに小海線身延線完乗となってしまったことがあるが、それは後々書くことにする。


19時45分、八高線の3両編成に乗車。先頭、キハ110-222。ワンマン運転対応の気動車だが、東京のこんな近くでも活躍中とは知らなかった。帰宅客で席は全部うまり、立つ客も多い。すでに日没後であり、運転席には遮光カーテン。所在無く、便所の前に立っていた。


倉賀野までは高崎線で、ここから八高線は分岐することになるのだが、正しい「戸籍」では、次の北藤岡までが高崎線でここが分岐駅である。高崎線の列車は停車しないので、路線図のイラストを描く場合は、八高線は倉賀野から南方向へ、線路をギュッと曲げている。さて、この駅、どんなもんかと観察しようにも、外は真っ暗で見えない。


北藤岡から群馬藤岡の間で高架橋の下をくぐった。窓外は真っ暗で何も見えない。時折り、光も入ってくるが、さて、どんな風景が繰り広げられているのか。想像するに、開発途上のベッドタウンというところ。畑の中に一軒家、あるいは、区画整理されたような土地土地の間に畑が残るような場所である。群馬藤岡で、客は大量に降りていった。私は空席を見つけて着座した。


八高線はほぼ単線である。児玉、竹沢、越生で、行き違いがあった。人名のような駅名が続いておもしろい。いや、そもそも人名というのは地名から取られていることが多いから、それは発想が逆なのかもしれないが。ついでながら、八高線という名も、親しみやすくていい。字面は違うが忠犬のようだ。この親しみやすさは、JRの全路線中でもピカ一ではあるまいか。


検札が始まった。駅区間が短いので、ちょっと検札をすると、また乗務員室に戻り、アナウンスをして、駅に着き、そしてまた列車が動き出すと、検札に舞い戻ってくる。小川町を過ぎたあたりで私のところにも来た。終点高麗川まであと4駅というところ。先頭車両の最前方あたりの客には、結局、チェックが入らなかった。


21時ちょうど、高麗川着。2番線。この瞬間、八高線完乗であるのだが、またひとつ、意外なものを達成した。それは埼玉県内のJR線の完乗である。JR全線の完乗に至るまでに路線別で記録をつけていくのはもちろんだが、県別で考えるというのもおもしろい。


私は東京都民であるが、だからといって都内のJR線すべてに乗っているわけではない。私鉄との並走区間であれば安い方に乗るし、あるいは、一駅ぐらいは歩いてしまう癖がある。それでも完乗を意識し始めてから、乗り歩いて、一線を残すのみとなっている。それは、なんと中央本線である。幹線がこうして残っているのだから不思議である。もとより、旅行好きでもないし、信州に親戚がいるわけでもなく、こういうところで妙な未乗区間が残っているのである。とはいえ、わざわざ乗り潰しに行くことはしない。幹線なのだから、ローカル線の乗り潰しに行く過程で、おそらく必然的に乗り潰されてしまうであろう。


東京に関してもこんな具合であるから、神奈川、千葉と考えてみても、同様である。神奈川県内も、鶴見線まで乗っている私なのだからと悦に浸っていると、中央本線は神奈川県をかすめていて、相模湖と藤野という駅まで設けられている。千葉県に至っては、鹿島線に乗っていないわけである。鹿島線の駅はほとんどが茨城県にあるが、それでも分岐している香取は成田線の駅であって、千葉県にある。


茨城の完乗状況はどうかというと、水郡線を残すのみとなっているのだが、水郡線には常陸太田支線というのがあって、ちょっと厄介である。こういう盲腸線は、終点まで行って、そのまま引き返してくるのはあほらしい。というわけで、通り抜けてどこかへ行くことを検討しているのだが、都合よく、日立電鉄なんてものがある。水郡線常陸太田駅の向かい側100mもしないところに、常北太田という駅が設けられているから、これに乗って、廃線が決まっている日立電鉄のお別れ乗車をするのがベストなプランに思える。


と、考えてくると、ついでに茨城の私鉄を楽しんでやろうという気にもなってくる。先の、鹿島線。これは鹿島臨海鉄道に接続しているわけだから、鹿島線の完乗後、鹿島臨海鉄道で水戸まで北上するというプランはどうであろうか。この鉄道、結構運賃が高いので、まぁ、プランはプランであるのだけれど。


県別の完乗状況に話を戻せば、静岡など、案外楽そうに見える。東海道線御殿場線。忘れてはいけない、それと伊東線清水港線はなくなり、二股線は移譲されたから、要件はずいぶん緩そうに思えるが、飯田線静岡県をかすめているのである。県内の駅数13。そのうち最北は、小和田という駅である。皇太子妃の結婚のとき、ずいぶん話題となったが、その駅は静岡の駅であったのか、といまさらながらに知る。


群馬で乗り残しは、吾妻線。終点の一つ手前、万座・鹿沢口まで行く列車は結構あるが、終点大前まで行く本数は少なく、思案のしどころである。これもバスで長野方面へ抜けて、と考えないでもない。


栃木県内では、烏山線の鴻野山〜烏山間が未乗である。途中には大金という駅があって、なかなか縁起がよい。烏山線東北本線と接続する駅は宝積寺といって、これもなかなか。同じ県内で東北本線に小金井という駅があり、むかしは、こう言った駅間の乗車券がもてはやされたこともあった。大金のような縁起の良い駅は、完乗の最後の最後まで残しておくのがよろしかろう。


さて、話は八高線に戻る。高麗川で、21時1分発の八王子行きに乗車。乗り換え時間は1分間だが、向かい側のホーム3番線。川越からの電車がすでに待っていた。先頭車両、クハ204-3002。半自動ドアのボタン設備のついた車両だ。あたりは真っ暗だが、先日乗ったとき、少しは起きていた区間である。東飯能〜金子間で左手に駿河台大学というのを見た。こんなところにまで移転してきているのかと驚いた。通勤も、通学も大変に違いない。


東福生で行き違い、拝島では6分停車。小宮では3分停車し、また行き違う。ネットの時刻表では、着いた同じ時刻に出発しているように記載してあるが、これはローカル線の小さい駅ゆえの、記載ミスだろうか。行き違ったのは、いずれも「ウグイス色」の103系電車である。山手線の車両をそのまま使っているのかと思いきや、ドアの外側に取っ手がつけてあった。冬期には、手動ドアにでもなるのであろうか。


景色の描写ができないのが悔しい。2003年9月6日に、拝島〜八王子間だけ乗っているので、その日の日記を転載してみたい。この日は武蔵五日市方向からやってきている。



17:05、拝島にて下車。5分遅れて、奥多摩から快速おくたま4号が3番線にやってきて、後ろに連結。跨線橋の上から、その様子を眺める。手際がいいもの。ところで、この駅、西武線との間に、改札口がないことに気づく。大丈夫なのだろうか。もっとも、東京の私鉄が相互乗り入れを頻繁にやっていることや自動改札と切符の磁気化が進んでいるを考えれば、こういったことは問題にもならないのかもしれない。


17:22、拝島始発の八王子行き普通八高線。その昔山手線を走っていたうぐいす色の車両を思い出すが、色は少し薄い。車窓には工業団地の風景。KENWOODやVictorなどの大きな建物が並ぶなか、目立ったのが、Amway。何を作っている工場なんだろうか。大きい。駐車場にはトラックがいっぱい。Amwayが経済活動をすることで潤う企業も多いということだろうが、すこし悲しく眺める。


17:34、八王子着。

この日、21時51分、八王子着。