京葉線


2003年8月25日に、京葉線に乗車している。


とはいえ、京葉線にはもっとずっと前に完乗している。ただ、乗車記録を残していないのだ。もとより、こういったものは、証拠を示して誰かに納得してもらうという趣旨でやっていることではなく、つきつめてみれば自己満足であるから、頭の中に薄ぼんやりと残っている記憶だけでいいはずである。しかし、自己満足のためであればこそ、自分の中での納得と、それを支える整理というものが必要なのである。


京葉線に初めて乗ったのはいつであろうか。千葉の臨海地区へと足を向けた最初の記憶は、東京ディズニーランドである。まだ就学前のことだと思う。ディズニーランドの開園は1984年であるから、開園した年のことであったろう。これが京葉線の初乗車であったかと推測してみるのだが、調べてみれば京葉線の旅客化は1986年からであり、推測は違うようである。そういえば、駅からずいぶん長くバスに乗った記憶がある。総武線浦安駅だったのだろう。


幕張でやっている東京モーターショーに行ったのは、過去1度きりである。東京に住んでいるのだから行くに行けないことはないのだけれど、晴海から遠くなってからどうも足が向かない。今のところ、最初で最後の幕張メッセ体験は、1989年であった。東京モーターショーが幕張に移った年である。このときには、京葉線に乗っているはずだ。しかし、思い出そうとすれば、思い出そうとするほど、その記憶にはとっかかりとなる部分がなく、自信がなくなる。古い記憶というものは、こうもディティールを失っていくものなのか。


最近の記憶も、また、怪しい。冒頭に「2003年8月25日に、京葉線に乗車している」と書いた。久留里線に乗った日で、行きは総武線で帰りが京葉線だったと思う。しかし、この日の日記には、帰宅経路は書き落としていた。主張が基づいているのは、あいまいな記憶である。蘇我から京葉線だったと思うのだが、乗ったのは総武線だったかもしれない。なかなか自分の中での整理もつかないのだが、いつのことかは別として、完乗したには完乗しているのである。


妙に自信が持てないのは、京葉線が比較的身近であるからかもしれない。男が独りでディズニーランドへ行っても様にならないから行きはしないが、イクスピアリで映画を見ることぐらいはある。葛西臨海公園で野鳥も見るし、あるいは、最近の記録では、2004年8月22日に千葉ポートタワーにのぼっている。屋上が開放されている日であったが、曇りでもあって、あまり景色はよくなかった。それはさておき、この日は千葉みなと駅から東京駅まで乗っている。と書いてくると京葉線でも身近と思っているのは東京方であって、千葉みなと〜蘇我間の印象など、思い出せない。やはり記憶はいい加減だが、完乗したには完乗しているのである。


さて、京葉線とは東京駅〜蘇我駅の43.0kmである。ここに二俣支線と高谷支線を加えるのが正式であるが、それは別に記したので、ここでは省略する。そもそもは貨物線であり、段階的に旅客化されて現在に至っているというのは、また他サイトの屋上屋を重ねるようで生産的ではないので、ここでは省略する。京葉線の東京駅は、成田新幹線用に建設されたホームであり、従来の東京駅とは別に番線が与えられ、位置的にも遠く、有楽町駅の方がむしろ近いことから、北有楽町駅と揶揄されていることもいまさらなので、ここでは省略する。


なんやかんやと省略をしていたら、書くことがなくなったので、このメモはここいらで終わりにしようと思ったのだが、問題の2003年8月25日の日記を読み返していたら、京葉線乗車の記録があった。帰りではなく、行きに乗っていたのだった。記録が見つかってしまえば、先に書き綴ったものはまったく無意味である。しかしながら、せっかく書いたものがもったいないので、このまま残しておく。誰かに読ませるのが目的の文章ならそんなことはしないのだが、先に記したように、これは自己満足が目的なのである。



丸の内北口改札にて、青春18きっぷ3回目のスタンプ。京葉線ホームへと急ぐ。


6時半。京葉線3番ホームから、6:31蘇我行き普通電車に乗れるが、6:47蘇我行き快速の案内が電光掲示板に目にとまる。蘇我到着は、前者なら7:23、後者は快速といえど前者を抜かすわけではなくて、7:29。普通とはいえ早い電車に乗るのが常識的だが、優等列車が停まらない駅でその通過するのを眺めていた経験からすると、多少遅くなっても、駅を飛ばす快速にはそこはかとない快感、そういう選択をする。新木場では、潮の匂い。


7:36普通電車館山行き。


話が新木場から蘇我まで飛ぶあたり、途中は寝ていたのだろう。